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【zak女の雄叫び】《zak女の雄叫び お題は「残」》リーマン破綻のニュースと一緒に届いた辞令 (1/2ページ)

 リーマン・ブラザーズが経営破綻した翌々日の朝、青森支局にいた私に経済部行きの辞令が出た。初めての東京本社勤務だ。少し緊張しながら当時の経済部長にあいさつの電話を入れると、「兜倶楽部だから、よろしくな!」と言われた。

 事件・事故ぐらいしか取材の経験がなかった私には、「カブトクラブ」が何をするところか分からなかった。ちょうど県庁の記者クラブにいた日経新聞の支局長に尋ねてみると、支局長は「あれをやるんだよ」とテレビ画面を指さして教えてくれた。

 そこに映っていたのは、米ニューヨーク中心部のリーマン・ブラザーズ本社から、荷物を抱えて続々と出てくる社員の姿。そう、兜倶楽部が担当するのは証券会社と株式市場の動きを取材することだ。

 兜倶楽部は東京・日本橋兜町の東京証券取引所の中にある。10月1日付で着任し、それまで縁のなかった数字ばかりの世界で悪戦苦闘する日々が始まった。

 最初に戸惑ったのは、証券業界ならではの用語だ。借りた株を売って、株価が下がったところで買い戻して利益を得る「空売り」や、証券会社に追加の保証金を払う「追い証(おいしょう)」…。株の売買をしたことのない私にとって、特に信用取引の仕組みは難解だった。

 経済記者にとって、注目企業の経営トップにインタビューをお願いし、新しい商品・サービスやM&A(企業の合併・買収)、海外進出などの構想を引き出すことも重要な任務だ。十分に知識や経験があるとは言えない状況で、トップとサシで話すのは緊張を強いられる。

 11月のある日。大手インターネット専業証券の一角であるマネックス証券の松本大社長をインタビューすることになった。

 相場が動いているときは個人投資家の動きも活発になる。リーマン・ショックの余波で、伸び盛りのネット証券の取り組みが記事になりやすい時期だった。顧客の個人情報や投資のくせをアルゴリズムで解析し、その人にぴったりの運用を助言する新サービスを始めることを聞き出し、他社に先駆けて紙面化することができた。

 リーマン・ショックは、日本の証券会社の体制や兜町の風景を少しずつ変えていった。翌年5月、米シティグループ傘下の日興コーディアル証券と日興シティグループ証券の大半が、三井住友フィナンシャルグループに入ることが発表された。懇意にしていた国内大手証券の広報担当者は外資に転職していた。そして街角からは食堂や喫茶店、書店が消え、チェーン店や単身用マンションが増えていった。