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寺田理恵子と近藤サトが語る好景気時代の女子アナの生活 (1/2ページ)

 アイドルアナのはしりとなった寺田理恵子(56)と報道からバラエティまで幅広く活躍した近藤サト(49)。1980~1990年代のテレビの舞台裏を知る“美熟女アナ”2人が「過ぎ去りし日の女子アナ」を語り合った。2人の古巣・フジテレビでは長寿番組の終了が相次いでいるが、寺田や近藤が在籍した時期は12年連続視聴率三冠(1982~1993年)を達成していた。

 近藤:1980年代以降、バラエティ番組やトレンディドラマが高視聴率を稼いだことで、その担当プロデューサーやディレクターが、肩で風を切って局内を歩いていました。いいクルマに乗って、高級カバンをぶら下げて(笑い)。バブルの時代というと、ピンクのセーターを肩に掛けて、胸の前で結んでいるイメージがあるじゃないですか。そういう石田純一さんみたいな方が身近にたくさんいた。くだらないことをとにかく真剣にやる、テレビ作りが大好きな人ばかり。フジテレビって、本当に優秀でカッコいい人ばかりだった……「だった」って、過去形は違うかもしれないけど。

 寺田:サトちゃんの時代ほどバブリーではないけど、海外出張もたくさんありました。『出たMONO勝負』という通販番組なのにフランスの田舎町や、ワインで有名なアメリカのナパ・バレーに行ったり。『なるほど!ザ・ワールド』の伝説的なプロデューサーの王東順さんは、当時から通販番組に力を入れていて。先見の明があったんですね。

 近藤:私は1992年のバルセロナ五輪の取材で約1か月、スペインに出張しました。取材もしましたけど、ちょっとした時間があると、電車に乗って観光していました。遊びすぎて、具合悪くなっちゃったぐらい。

 その後は忙しくなって、休日はほとんどなかったです。お金は貯まる一方でした。日枝久さん(現・フジテレビ相談役)が編成局長になったことで、大きく女子アナの待遇も変わっていったんだと思います。1998年に退社するまで、すごくいい思いをさせていただきました。

NEWSポストセブン
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