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【高須基仁 人たらしの極意】永遠のヤングマン… 映画の中でしか会えなくなった秀樹と「愛と誠」の思い出 (1/2ページ)

 永遠のヤングマン、西城秀樹が63歳で逝った。思わず彼が青春映画「愛と誠」に主演した頃を想った。

 梶原一騎原作・ながやす巧作画の劇画連載は、週刊少年マガジンで1973年に始まった。ちょうど「あしたのジョー」(68~73年)が終了。私は梶原一騎の実弟で空手家の真樹日佐夫と盟友といえるほど深い付き合いだったため、大ブームの舞台裏についても、よく聞いていた。

 「愛と誠」は74年に松竹映画化され、凶暴な不良高校生である「太賀誠」役に、20歳になったばかりの秀樹が選ばれた。ちょうど、♪君が望むなら(ヒデキ!)の「情熱の嵐」が大ヒットした頃だったが、劇画も大人気だったため、「人気歌手などに主演させるとイメージが壊れる」「ギャラがそんなに欲しいのか」と非難を浴びたという。

 しかし、秀樹も「オレの太賀を見てくれ」と体当たりで熱演した。また、太賀誠が幼少期に命を救う、ブルジョワお嬢様「早乙女愛」役はオーディションで約4万人の中から、鹿児島の高校1年生が選ばれた。役名がそのまま芸名となり女優の早乙女愛が誕生したのだ。大人びた黒髪はイメージがぴったりで、私は大きなシンパシーを感じた。「憧れの秀樹に会えるし、東京にも行ける」と応募したそうだが、後にヌードもいとわないセクシー女優に成長した。

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