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【元文春エース記者 竜太郎が見た!】高学歴エリート、なぜ暴走!? オウム死刑囚を駆り立てたものは… (1/2ページ)

 「そのときが来たな、という、それだけしかありません。(死刑執行は)当然だと思っています」(地下鉄サリン事件被害者の会代表、高橋シズヱさん)

 7月6日、地下鉄、松本両サリン事件など教団による一連の凶行を首謀したとして、殺人などの罪で死刑が確定したオウム真理教教祖・麻原彰晃(本名・松本智津夫)元死刑囚(63)ら7人の刑執行が行われた。

 テレビは緊急速報し、その後も連日特集が組まれている。その犯行で29人が死亡、6000人を超える負傷者を出した「日本犯罪史上最も凶悪な事件」。1989年から95年の麻原逮捕までメディアはオウムと格闘した。何が起きるか分からない。現場は異様な緊張感が漂っていた。記者は、サリンやVXガスやホスゲン、青酸ガスによる「ポア」の標的で、実際に襲撃もされた。

 「地下鉄で毒ガスがまかれたらしい!」

 1995年3月20日、週刊文春記者だった私はオウム取材で向かう新大阪行き新幹線の中でその知らせを聞いた。同行したO記者がデッキから戻ってくると険しい表情でそう話し、私は固唾をのんだ。当時はインターネットも不備で、ポケベルと旧式の携帯電話の時代だ。到着するやいなや電話ボックスに駆け込んで、知り合いの記者に片っ端から電話したのを覚えている。

 日本転覆計画、それはまさしくテロ集団化したオウムが仕掛けた戦争だった。謎の事件であった松本サリン事件はメディア内ではオウム犯行説がささやかれていたが、地下鉄サリン事件をきっかけに警視庁の強制捜査が入り、次々と教団の関与が明らかに。そのつど、教団広報だった「ああいえば上祐」が詭弁(きべん)を弄し、教団犯行説を否定したが、さらに村井秀夫殺人事件や國松孝次警察庁長官狙撃事件が起き、社会を不安に陥れた。

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