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【サザンオールスターズ40周年への轍】1980年 「音楽だけで勝負する」宣言した3年目… “充電期間”明け活動再加速 (1/3ページ)

★第3回

 ルービックキューブが大流行し、山口百恵がステージを去り、巨人の王貞治選手が現役のユニホームを脱いだ。そして、ジョン・レノンが米ニューヨークの自宅前でファンの銃弾に倒れた1980年…。

 サザンオールスターズの3年目は、それまで出演しまくっていたテレビ出演などを一切やめ、前年の年末に発した宣言どおり充電期間からスタートした。

 巷では早くも「解散か?」と騒がれ、さまざまな憶測も飛び交った。が、それは表舞台への露出をやめてスタジオにこもり、「音楽だけで勝負する」というコンセプトのもと、曲作りとレコーディングに専念するためだった。それは彼らにとってのチャレンジの一つでもあった。

 デビュー以来のハードスケジュールに追われながら、見失いそうになる本来の自分たちの姿と音楽活動のイニシアチブを取り戻すべく、じっくりと音楽制作に取り組む道を選んだのである。

 その間、アルバム制作に取り組みながら、「ファイブ・ロック・ショー」と題して5枚のシングルをリリースするという思い切った企画を進行させてもいる。

 この企画により、2月から月1回のペースで「涙のアベニュー」「恋するマンスリー・デイ」「いなせなロコモーション」「ジャズマン(JAZZ MAN)」、そして「わすれじのレイド・バック」とシングルをたて続けに発売し、さらに3枚目のオリジナル・アルバム「タイニイ・バブルス」も3月にリリースした。

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