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【酒井政利 時代のサカイ目】“国民的関心事”からの変革期 岐路に立った「日本レコード大賞」 (1/2ページ)

★レコ大60年・秘話開封(下)

 神田共立講堂で始まった日本レコード大賞も、音楽業界だけでなく社会的に認知されると、1969年から会場を日比谷の帝国劇場に移し、開催も大みそかで、NHK紅白歌合戦が始まる前の生放送とした。

 大賞受賞者はその年の歌謡界の顔で、紅白出場者でもあったため、レコ大終了後わずか10分ほどで日比谷からNHKホールのある渋谷まで移動。パトカーが先導し、信号の操作が行われたこともあった。それほどの国民的関心事だったのだ。

 ただニューミュージックの旗手たちは受賞を拒否することが多かった。

 70年代後半になると、楽曲の音源制作がレコード会社からプロダクションへと移り、プロダクションの力が俄然強くなった。

 森進一『襟裳岬』(74年、ビクター)、布施明『シクラメンのかほり』(75年、キング)、沢田研二『勝手にしやがれ』(77年、ポリドール)と老舗プロダクションの1強時代が続いた。

 その牙城を崩したのはオーディション番組『スター誕生!』(日本テレビ)から出てきたアイドルたちの活躍だった。

 ホリプロの森昌子、山口百恵。サンミュージックには桜田淳子、松田聖子。桜田は73年に新人賞、森は83年に最優秀歌唱賞を受賞。ところが山口は国民的人気を誇りヒット曲にも恵まれたが“無冠の女王”とも書かれた。

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