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【織田哲郎 あれからこれから】『いつまでも変わらぬ愛を』は兄への鎮魂歌 「一生音楽を作り続けよう」と決心 (1/2ページ)

 中学生の私が英国で、いわゆる“中二病”の状態になり、友人との付き合いを絶って絵ばかり描いていた頃、そしてその後帰国して入った高知の学校でなじめず浮いてしまっていた頃、相当危険な精神状態でした。

 だけど、私にはいつも“そこへ逃げ込めば楽になれるシェルター”として、あるいは“成長に役立つ、言葉にならない何かを教えてくれる存在”として、“誰よりも私の気持ちを分かってそっとそばにいてくれる友人”として、常に音楽があったのです。

 実生活でも、いつも音楽を通じて友人ができていました。一緒に好きな音楽について語ること、あるいはバンドというものを一緒に作ったこと。もし音楽がなかったらと考えると、兄より先に私が壊れていたかもしれません。いつも音楽がかろうじて私を正気の世界につなぎとめてくれたのです。

 その後、私がプロとして音楽を作り始めてからも、今度は“音楽を作る”という作業に逃げ込むように生きてきたんだなと思います。

 私が30歳になった1988年頃、初めて長年私を支えてくれた音楽というものから、「もう音楽に逃げ込まなくても生きていけるよ」と言われた気がしました。分かりにくいと思いますが、「もう良くなったから退院していいよ」と言われたような気分でした。

 『いつかすべての閉ざされた扉が開かれる日まで』『TOUGH BANANA』という2枚のアルバムを卒業記念に制作したら、もう音楽から離れていくことになるのかな、と感じていたのです。

 ですが、『おどるポンポコリン』『思い出の九十九里浜』などが予期せぬ大ヒットをする中、これはやはり神様に音楽をやれ、と言われているんじゃないのか、という気がしました。

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