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【織田哲郎 あれからこれから】ニコリともせず…オーディションの審査員をにらみつけていた相川七瀬 (1/2ページ)

 1989年、私はあるオーディションで大阪予選の審査員を頼まれました。そこでとても面白い少女に出会ったのです。

 アイドルのオーディションにも関わらず、その子はニコリともせず、審査員たちをずっとにらんでいました。そして工藤静香さんの「嵐の素顔」を大声でシャウトして帰りました。当然、その風変わりな子はオーディションに落ちましたが、私の頭の中にはずっとその子の強烈な印象が残っていたのです。

 当時、ガールズロックは世の中にあったのですが、全体的にどれも健全さ、元気さを競うかのようなテイストでした。私はもっとダークで、なおかつポップなロックができないかと考えるようになり、思い出したのがあのオーディションで出会った少女でした。

 私はオーディションを主催していたビーイングの社長、長戸大幸さんとCBSソニーの制作トップの了解を得て、その子に会いに行ったのです。しかし、そのときは「学校が楽しいのでもう歌をやる気はない」と断られ、「じゃあ、気が変わったら連絡ちょうだい」と言い残して、東京に戻りました。

 それから1年後、突然彼女から「学校をやめました。やはり歌をやりたいです」という連絡があったのです。

 その後、しばらくは大阪で歌のレッスンをしたり、ひたすら詞を書かせたりという準備期間を経て、94年に上京させてスタジオでデモテープを作りました。

 私はビーイングでのデビューを考えていましたが、95年になって長戸さんの後を継いだ社長から「ビーイングでは彼女をデビューさせる気はない」と言われました。「じゃあ他社へ持っていっていいですか?」「そうしてください」というやりとりがあり、レコード会社を探すことになったのです。

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