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【ぼくらの90年代音楽論 30年前の「音楽」の「普通」】大谷能生×三浦千明(1) 「あんな風に、一日に同じ曲を何度も何度も聴くっていうのは、もうないかなぁ」 (1/3ページ)

 四人目のゲストは、ミュージシャンの三浦千明さんです。筆者とは「蓮沼執太フィルハーモニー・オーケストラ」の同僚というか、バンド・メンバーですね。蓮沼フィルではフリューゲル・ホルン(またはトランペット、コルネット)とグロッケン・シュピールなどを担当されております。千明さんと、それにユーフォニウムのゴンドウトモヒコ氏と、ワタシの三人で、フィルの(一般的にはかなりいびつな・笑)ホーン・セクションを受け持っているという訳でした。

 連載の中で、一人か二人は音楽家にも話を聞いてみたいと思っていまして、それも自分とは全然違う出自の人がいいなあということで、ブラバン!出身の千明さんに、部活としての「吹奏楽」の特徴なども織り交ぜてもらいながら、極私的90年代の音楽体験を伺いました。

■三浦千明(みうら ちあき) らっぱ吹き。トランペットやコルネットやフリューゲルホルン吹きで、シロフォンやグロッケンの鍵盤打楽器弾き。洗足学園音楽大学卒業後、吹奏楽の指導を経て演奏者に。 World standard、蓮沼執太フィル、トクマルシューゴ、イトケン with SPEAKERS、星野概念実験室等、様々なライブやレコーディングに参加。

■大谷能生(おおたに よしお) 音楽と批評。ミュージシャンとしてジャズを中心に、さまざまなバンドやセッションで活動。著作としては『平成日本の音楽の教科書』、『ジャズと自由は手をとって(地獄に)行く』、『東京大学のアルバート・アイラー』(菊地成孔との共著)、『日本ジャズの誕生』(瀬川昌久との共著)、『身体と言葉』(山縣太一との共著)など多数。

大谷:よろしくお願いします。えーと、確か出身は東京ということだったと思うのですが…。

千明:立川です。ずっと。なので、田舎でもなく都会でもなく、みたいな感じでした。

大谷:僕とはちょうど十歳くらいの年の差ですよね。

千明:1990年の時が、えーと、八歳です。

大谷:じゃあ、前半が小学生、後半が中学・高校みたいな感じですね。ほんと、ちょうど10代が90s。

千明:まさにそうですね。がっつり10代。

大谷:わりと大きく、二つくらい話が聴きたくてですね。一つは、90sの10代にとって、音楽っていうのはどういったカルチャーだったのか、っていう、環境とか状況の話ですね。あと一つは、千明さんが管楽器を始めて、学校の部活で90sに経験したブラバンの話。ぼくは楽器始めたのがそもそも大学入った18歳からで、小中高の、吹奏楽の世界をまったく知らないんですよ。だからちょっと聞いてみたい。ということで、とりあえず一般的な話の方から先に行きたいんですが、えーと、初めて買ったレコードとか、CDとかって覚えてますか? もう当時はCDの時代だと思うんですが。

千明:覚えてます。初めて買ったCDシングルは「嘉門達夫の替え歌メドレー3」。いっぱい出てたのの三枚目(笑)。

大谷:あはは(笑)。流行ってたねー、そう言えば。ちなみに、ご兄弟は? 兄姉とかはいらっしゃいます?

千明:あ、いません。私が上で。で、アルバムは、最初は、CHAGE&ASKAの「スーパーベスト2」を買いました。92、3年くらいかなあ。

大谷:王道直球ですね。チャゲアスは、お母様からの影響とかではなくて?

千明:ちがいますね。普通にドラマの主題歌だったから。「YAH YAH YAH 」とか入ってたから。まぁ、同い年の子から見たら割と早めの買い物だったと思います。

大谷:CDプレイヤーとか、聴く環境ってどんなでした?

千明:コンポが家にありました。リビングに。私は、割とその頃からラジオを聴いてて。携帯のラジオで部屋でラジオで番組はその頃から聴いてて。あと、覚えているのは、私、89年に小学校に入学したんですけど、その時に小学館の「小学一年生」ってあるじゃないですか、それの付録がソノシートだったんですよ。あの、薄くて赤いやつ。なんか、「ドラえもん数え歌」みたいなのだったんですが、だから、その頃まではまだ「レコード」が使われてたんだなーと、今になってみれば思います。

大谷:89年で、ですか。うーん、なるほど。