記事詳細

【ドクター和のニッポン臨終図巻】国会議員・園田博之さん 水俣病患者の救済に尽力 (1/2ページ)

 〈患ひの元知れずして病みをりし人らの苦しみいかばかりなりし〉

 これは、平成25(2013)年に天皇、皇后両陛下が初めて熊本県水俣市を訪れた際、天皇陛下が詠まれた歌です。

 私は先日、水俣市医師会が主催する市民講演会に2年連続でお呼びいただきました。その前日、この歌碑のある公園や水俣病資料館を見学し、水俣病の悲しい歴史に触れました。戦後最大の公害病である水俣病をめぐる問題は、平成が終わろうとも絶対に私たち国民が忘れてはならない出来事だという思いを強くしました。

 母親の胎内でこの病に侵された胎児性患者の人々は、今もなお、苦しめられているのです。水俣病患者の救済にも大きな力を注がれたのが熊本出身の国会議員、園田博之氏でした。しかし11月11日に東京都内の病院で亡くなりました。76歳、肺炎でした。

 園田議員は、政治家だった父・直(すなお)氏が亡くなったことを受けて、1986年に初出馬。このとき、対立候補はなんと継母(直氏の後妻で博之氏は前妻の息子)であった園田天光光氏。天光光氏は、戦後間もない46年に餓死防衛同盟から立候補、日本初の女性議員のひとりでした。

 「骨肉の選挙」と言われた選挙は息子が勝利し、その後、自民党離党と復党を繰り返しながらも、当選11回、落選はありませんでした。晩年は政界のご意見番的な存在でしたが、闘病のため、あまり表舞台には立っていませんでした。実は今年の春からは、入退院を繰り返していたそうです。がんの治療に加えて、もしかしたら肺炎治療を行っていたのかもしれません。

関連ニュース