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【ぴいぷる】狂言師・和泉流二十世宗家・和泉元彌「受けたバトン、子に継ぐには難しゅうござる」 (1/2ページ)

 「あの頃は毎日、おなかが痛くて目が覚めましたよ」と振り返るのは何とも苦い記憶だ。

 「公演先のホテルでテレビをつけたまま寝てしまうと、翌朝、ワイドショーから自分の名前が聞こえてくるんです。いいことなんて言われてないし、もう、けちょんけちょんでしたから」

 前年にNHK大河ドラマ「北条時宗」で主役を演じ、人気絶頂の一方、宗家の継承問題でバッシングの暴風が吹き荒れた2002年の“Wブッキング事件”。朝、岐阜県可児市での公演を終えるとヘリやジェット機を乗り継いで、昼の新宿の公演に間に合うという大騒ぎがテレビで繰り返し伝えられた。

 「その年は年間204公演もあったんです。私は掛け持ちだと思っています。なので、いまだにWブッキングが肩書のように言われるのはちょっと…。あの頃は何をしてもひと騒動。もし私がテレビだけで生きている人間であれば、命を粗末にしていたかもしれません。でも私には舞台があった。生きているからこそ舞台に立てる。そして拍手をいただける。そう思ったんです」

 今年、4歳で「靭猿(うつぼざる)」を披露した初舞台から40年という節目を迎えた。先代の父を亡くし、和泉流二十世宗家を継承してからも23年がたつ。

 「師匠である父がいた20年と、父の死後に宗家のバトンを受け継いでからの20年に分かれるのかな。先の20年は父という壁を乗り越えようと本当に必死でした。そして、次の20年は周りの景色がガラリと変わりました。いい思いができるから宗家にしがみついているとも言われましたが、20年もたたかれ続けて、いい思いも何もないですよ。ただ、狂言をもっと多くの方に見ていただきたいという思いだけでした」

 10月に東京・水道橋の宝生能楽堂で開催された和泉会別会では長男の和泉元聖、おいの和泉和秀といった若い狂言師も舞台に立ち、次世代の成長を強く印象づけた。

 「21歳で父を亡くしたとき、仕事の半分は父の代役だったので、不安を感じる暇すらありませんでした。ただ稽古をしていると、父の声や姿が自分の体に残っているのを感じるんです。父と積み重ねてきた日々がしっかりと残っていた。それが自信になりました」

 だからこそ、父がしてくれたことを、次世代につながないといけない。そう思うようになったのは30代に入ったころだった。批判もあったがひたすら舞台に向き合っていた。それでも「父がいてくれたころと比べて、20代は成長がやっぱり緩やかになっていたんです。それで自分が何をすべきなのかを改めて見直したとき、受けたバトンを次世代に渡す意味を身をもって感じました」。

 後進を育てていると、強く思うことがある。

 「受け継いだものを、次に渡すって大変なんですよ。弟子は間違っても師匠が直してくれますが、師匠が間違っても誰も直してくれない。それどころか弟子が間違ったものを覚えてしまうかもしれない。だから間違うことはできない。その責任たるやないですね」

 嫁姑問題などプライベートな話題でも世間をにぎわしてきた。それだけ“和泉元彌”という名前が世間に浸透しているともいえる。最近では、お笑いコンビ、チョコレートプラネットの長田庄平(38)の「そろり、そろり」というものまねがウケている。

 「ものまねって、元ネタを知らなければ面白くないじゃないですか。だから私も、ものまねをされるぐらい知られるようになったのかと。でも、実は彼のものまねは和泉流ではないんですよ」とまさかの指摘が…。

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