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【ぴいぷる】声が枯れるまでナイフを握れ! EARTHSHAKER・西田昌史、「18の日々」歌ったあの時から変わらぬ情熱 (1/2ページ)

 マーシーの歌声を聴くと、あのころの情景が鮮やかに蘇る。アースシェイカーのデビューはもう35年も前のことだが、大ヒットした『MORE』や『RADIO MAGIC』のイントロを耳にした途端、すぐに当時のことを思いだす。

 「僕らもファンのみなさんも、80年代のころの青春が今もつながっています。ここまでいろいろ経験してきたけど、歌は形を変えずに受け継がれてきた。あのころ若かった人は今、50を超えているくらい。僕は『MORE』で“18の日々”を歌って、ナイフを握りしめているような当時の情熱を、まだ持っていますか(?)って伝えている。18の日々を思いだして頑張ってほしいから」

 自身の18の日々は福岡の高校生。ザ・モッズやサンハウスなどのロックバンドが人気で地元のライブハウスに通っていたが、高校卒業後、よりハードな音を求めて大阪に向かった。アースシェイカーと知り合い、前任者の二井原実(→ラウドネス)に代わり加入したときはフュージョン真っ盛り。ハードロックは苦難の時代だったが、数年のうちに盛り返した。

 「時代の面白さですよね。最初は相手にしてもらえなかったのに、いつの間にかライブハウスがホールになって、デビュー前に郵便貯金ホールでやっていた。ええ~ってなりますよね。でも、それが自然な流れだった」

 アイドルのレイジーから進化したラウドネスが1981年に誕生しシーンの寵児となったが、目指したのは海外。アースシェイカーは一方、日本にこだわっていた。

 「海外には興味がなかった。もちろん洋楽はたくさん聴いていたけど、僕は日本語ではっきり歌いたかった。日ごろ使っていない言語では、思いは伝えにくいから。それに日本の言葉が好きだから。誰に何を言われてもこの主張を曲げることはなかったですね」

 こだわりはファンに歓迎された。『MORE』はアマチュアバンドにこぞってコピーされ、ロックのマストアイテムになった。ややポップな『RADIO MAGIC』は歌謡界を含めたシーンに大きな影響を与えた。

 「日本人の感性に合っていたのかな。歌謡曲ぽいってバッシングされたりもしたけど、これがアースシェイカーの曲という自信があったから気にならなかったし、今のロックシーンやポップシーンに僕らの音はしっかりつながっている。メロディーが好きならJ-POP、ハードさが好みならビジュアル系とか」

 35周年を期に、バンドでもソロでもニューアルバムを出した。アースシェイカーの「THE STORY GOES ON」は過去と現在が絶妙にマッチした作品。86~94年に在籍していたキーボードの永川敏郎が復帰しているのが話題だ。

 「トシがいなきゃやれない曲もある。去年、一緒にツアーをしたら、トシがずっといたような感じがした。だからアルバムも一緒に作ろうと。バンドはトシがいた94年に1度解散して、以降の4年間バラバラになり、トシ不在で98年に再結成した。だけど、あのとき解散していなければ、みんなもっとバンドが嫌になって、再結成はなかったと思う。だからここで、またトシが戻ってきてくれたことはうれしい」

 ソロ「GARAGE」は、アースシェイカーの名曲をシンプルかつ丁寧に紡いだ。

 「歌の力。僕はバンド以外にもギター片手に全国をソロで回り、被災地にも行っています。大変な状況のなかでも、僕を待っていてくれて…。そこでパワーをもらい、改めてアースシェイカーを歌い続けたいと思った。『ありがとう君に』は当時付き合っていた彼女に捧げた曲。それがファンのみなさんに愛され続けていたり、どの曲も“いいなあ”って。僕の思いを伝えたくて、初めてファンのみなさんのためにアルバムを作りました」

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