zakzak

記事詳細

【ぴいぷる】“永遠の喜劇人”小松政夫 「『舞台で死ねたら本望』なんて言うけど…幕を引いてからコロリ、が最高」 (1/2ページ)

 日本喜劇人協会会長といえば、エノケン(榎本健一)や森繁久弥、三木のり平ら、そうそうたる顔ぶれが務めた大御所ポストだ。8年前、10代目会長を任され、現在4期目。きょう7日、自伝となる『ひょうげもん』(さくら舎)を出版。今月末からは、舞台出演が2本続き、喜寿を迎えてなお、仕事のオファーが引きも切らない。

 「ハタチになったのが、ついこの前だったんですけどねぇ(苦笑)。気付いたら、もうこの年です。よく、『舞台で死ねたら本望』なんて言うけど、ホントに死んじゃったら周りは大迷惑ですよ。(千秋楽の)幕を引いてからコロリ、が最高なんですけど」

 本のタイトルは、故郷の博多弁で、ひょうきん者の意味だ。現在とはまるで違う「昭和の芸能界」の“アツさ”が行間からあふれ出てくる。

 俳優を目指して上京、自動車のセールスマンなどを経て、クレージーキャッツの大スター、植木等の付け人兼運転手になったのが1964年。前回の東京五輪が開催された年だ。高度経済成長のまっただ中、日本人みながモーレツに働き、遊び、上を向いて歩いていた時代。芸能界もモーレツだった。

 「2、3日連続の徹夜は当たり前。現場はみんな『面白いものをつくりたい』という熱気にあふれていました。1つのコントをやるのにもアイデアを練りに練って何日も稽古をして本番は5分とか、ね。でもアタシはそれが楽しくてしようがなかったんですよ」

 そうした積み重ねから、やがて一世を風靡した「電線音頭」や「しらけ鳥」などの芸が生み出されていく。

 人間関係も濃密だった。本には「親父」と慕った植木をはじめ、藤田まこと、三波伸介、東八郎、トニー谷…本当の「芸」をもった先輩たちの思い出が綴られている。先輩に飲みに誘われたら、女の子との約束をすっぽかしてまで飛んでいった。とにかく話を聞けるのが、うれしくて仕方がない。

 「今や『師弟関係』なんてありえないでしょ。親父の話をすると、イマドキの若い人たちは『さぞや面倒くさかったでしょうね』だって。最近は、若い人を飲みに誘っても、『それは命令ですか』と返される始末。命令じゃないけど、そういう人は二度と誘いませんから」

 よく「オレたちは(しょせん)芸人ですから」なんて卑下していう態度も気に入らない。芸人とは、あらゆる「芸」を知っている人間を指す、と信じているからだ。芸もないくせに芸人気取りは10年早い。“薄っぺら”な今のテレビのバラエティー番組にも一言ある。

 「バラエティーは本来、歌やダンス、トーク、コントなど、いろんな要素があってこそだけど、今は、お笑い=バラエティー。“つくり”もみんな似たような番組ばっかりじゃないですか。ひな壇に座ったタレントが人の悪口を言ったり、私生活の延長みたいな“なあなあ”トークをするだけ。あれは雑談ですよ。ウデもなけりゃ、勉強もしない。テレビ局も他の番組をまねしてばかりで恥ずかしくないの? 『誇り』は一体どこへいってしまったんでしょうかね」

 当時は、アイドルも一生懸命だった。バラエティー番組でよく一緒になったキャンディーズのエピソードが面白い。アイドルとしての人気絶頂期なのに、どんな体当たりコントも嫌がらなかった。スカートをめくったり、しゃもじで頭を叩いたりしても、まったく動じなかったという。

関連ニュース

アクセスランキング