zakzak

記事詳細

【ぴいぷる】童謡歌手からコメディエンヌ…そして世界の歌い手に 由紀さおり「今思えば、激動の50年ね」 (1/2ページ)

 「今思えば、激動の50年ね」とさらりと口にするが、デビュー以降、その半生で数々のターニング・ポイントを乗り越えてきた。まさに激動といってもいいだろう。

 「50年というより、むしろ半世紀って言われるとドキッとするの。昔、知り合いの経済学者さんから、由紀さんはイノベーション(技術革新)の連続だって言われたけど、そのときは意味が分からなかったのよ。今なら、何となく分かる気がするけど」

 そのイノベーションをたどってみよう。童謡歌手から歌謡曲に転身するが、なかなかヒットに恵まれなかった。今でこそ“透明感のある声”と称されるが、当時はデメリットしかなかったという。そんな中、仕事を通じて作曲家の越部信義氏と知り合い、CMソングなどを歌うようになる。

 「要は声に特徴がないってこと。コンプレックスだったわ。ただCMが映像主体の時代になったことで、クセのない声が求められるようになったのよ。不思議なものね」

 そこからつながりが広がり、「夜明けのスキャット」の作曲家、いずみたく氏とも出会う。TBSの深夜ラジオ「夜のバラード」のテーマ曲だった「夜明けのスキャット」は、ミリオンセラーの大ヒットとなる。

 人気歌手となり、歌謡シーンで活躍する一方、ドリフターズと出会い、新たな転機を迎える。「8時だョ!全員集合」や「ドリフ大爆笑」への出演でコメディエンヌの才能が開花したのだ。

 「もともと童謡歌手のころは日本コロムビアにいたの。で、コロムビア・トップさんが司会を務める『コロムビア大行進』というイベントに出たとき、トップさんに仕込まれた通りにやると、客席がドヒャって沸いてね。それがうれしかったな。歌よりも好きだったのかもしれないわね」

 ドリフではいかりや長介の薫陶を受け、コントのオチまで任されるまでに。「腰元役で出ていたバカ殿では、志村(けん)さんに年齢を聞かれて、『18です』と答えると手打ちにあうオチがあったの。今の望みはもう一度、志村さんに斬ってもらいたいわ」

 もはや、歌手の域を超えているが、「その頃は歌い手も歌以外のことをやっていかないと生き残っていけない時代だったから。ただ、やっておいて間違いじゃなかったとは思っているわ」とも。

 1985年、実姉の安田祥子とともに童謡コンサートをスタートさせ、再び歌手としての人生にかじを切る。彼女にとって「歌」とは何だろう。投げかけると、ちょっと間を置いてこう答える。

 「自分の存在を示すってことかしら。歌って、自己表現の手立てのひとつよね。画家が絵を描くように、私はたまたま歌を選んだってことかな」

 童謡歌手は、流行歌手とは違う。「例えば『ふるさと』って言葉で頭に浮かぶ景色って100人いたら、100人みんな違う。童謡歌手はみんなが思い浮かべる映像を邪魔してはいけないの。きっちり音符通りに歌うことが求められるのよ」

 かつてコンプレックスだった、くせのない声が再び生きることに。そして姉とのコンビも30年がたとうとしたころ、また転機が訪れる。米ジャズバンド、ピンク・マルティーニとの出会いだ。

 「歌謡曲は童謡と違って、自分が本家だから、自分の思いを前面に出せるのよね。だから私自身、歌手としてのラストランに向かって、もう一度歌謡曲に挑戦したいと思うようになったの。そんな中、YouTubeでみたピンク・マルティーニとやってみようというアイデアが出てきたんです」

関連ニュース

アクセスランキング