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【ぴいぷる】がんと10年、前を向く 元日本テレビ報道記者・鈴木美穂さん「さまざまな事情抱える人が生きやすい社会を」 (1/2ページ)

 「がんになったのはうれしくはないけれど自分に必要な経験だったのかもしれない。今はそう思えるようになりました」

 昨年まで「スッキリ」や「情報ライブ ミヤネ屋」のニュースコーナーのキャスターを務め、テレビでもおなじみの笑顔だ。24歳で乳がんを患い、仕事を続けながら闘ってきた。その闘病の記録や心境の変化をつづった『もしすべてのことに意味があるなら がんがわたしに教えてくれたこと』(ダイヤモンド社)を2月に出版した。

 右胸にしこりを発見したのは、日本テレビに入社して3年目。報道記者として飛び回っていたさなかだった。病院で受けた診断は、ステージIIIの乳がん。転移は見当たらないものの、成長の早いタイプのがんだった。

 「どうして私が? という思いで、何も考えられなくて…。両親とともに医師の説明を聞きながら、ただ泣くことしかできませんでした」

 いくつもの病院を回ってセカンドオピニオンを受け、さまざまな情報を収集した上で右胸の全切除を決断。手術後は、抗がん剤、放射線治療など標準治療のフルコースを体験した。中でもつらかったのは、抗がん剤の副作用。吐き気や脱毛だけでなく、「せん妄」と呼ばれる幻覚や妄想などの症状にも悩まされた。

 「寝たら2度と目覚められないのではないかと考えると怖くて眠れない。『こんなに苦しむくらいなら死んだほうがラク』と考え、もうろうとする意識の中、マンションのベランダから飛び降りようとしたこともありました」

 8カ月の休職期間を経て記者として復帰した後も不安は尽きなかった。前を向けるようになったのは、同じがん患者の存在があったからだ。闘病を乗り越え、社会で活躍するがん患者を希望の光にすると同時に、自分もいつか似たような境遇の人の役に立ちたいと考えるようになる。中でも、思いを共有したいと考えたのが、自分と同世代のがん患者だ。

 「がんはすべての世代がかかる病気ですが、就職、恋愛、結婚、出産など人生の大きな節目を経験する若い世代だからこその悩みがある。私も、仕事に打ち込んでいる友人や同僚を見て焦ったり、結婚や出産は諦めないといけないのかと悲観的になったりしたこともたくさんありました」

 若くしてがんになった仲間とともに若年性がん患者団体を発足。また、2016年には、英国発祥の「マギーズセンター」をモデルに、東京・豊洲に「マギーズ東京」をオープン。これはがん患者とのその家族が無料で利用できる施設。看護師や心理士といった医療関係者が、がんに関するあらゆる相談にのる。この設立も自身が感じた課題が原点になっている。

 「がんになっていくつも病院を回ったとき、治療に対する情報の差があることを実感しました。また、高額な民間療法やサプリメントを勧められると、効果が分からないのにわらにもすがる気持ちで心が揺らいだこともあります。このようなとき、情報の正誤を判断し取捨選択して発信する記者の経験が役に立ちました。けれど、本来なら誰もが安心して正しい情報を得られ、選択できる仕組みでなければならないと思うのです」

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