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【ぴいぷる】芳野藤丸&杉山清貴 「マサやんを歌いたい」初共演から生まれたプレミアユニット (1/2ページ)

 2012年に脳幹出血で急逝した桑名正博をトリビュートする強力ユニットの結成は、ふとしたひとことから始まった。

 「やるなら、マサやんを歌ってみたいな」

 その思いが8月6日に行われる「芳野藤丸&杉山清貴presents 馬鹿な男のR&R~桑名正博 TRIBUTE LIVE~」(マイナビBLITZ赤坂)開催につながった。

 昨年9月30日の「夕刊フジ・ロックフェスティバル SHOGUN40&芳野藤丸45」で、2人は初共演。杉山がスペシャル・バンドのボーカルを務め、ディープ・パープル、グランド・ファンク・レイルロードなど欧米ロックを演奏した。

 「大人の学園祭みたいで楽しかった。またやりたい!」という杉山に、「なら、やろうよ」と芳野。後日、ポロリと口を突いて出たのが“マサやんを歌いたい”だった。

 80年代にシティ・ポップスの中心人物だった杉山と、泥臭いロックンローラーの桑名。意外にも思える組み合わせだが、「中学生の頃から好きだった。ファニー・カンパニーの『スウィート・ホーム大阪』とかカッコ良くて。初めて大阪弁を覚えたのもこの曲。アマチュア時代はカーリーヘアーで、桑名さんをコピーしまくってました」。

 ファニカンからのち、一気の方向転換にはビックリさせられた。

 「バリバリのロッカーが“夜のヒットスタジオ”や“ザ・ベストテン”に出てる。エエ~ッて。松本隆さんの作詞で、作曲は筒美京平さん。『哀愁トゥナイト』『セクシャルバイオレットNo.1』とか、『サード・レディー』も衝撃で。ついに時代が来たかと、今までにないジャンルを作っていたと思います」

 一方、芳野と桑名は1988年に「KUWANA」を共同プロデュースしてからの付き合いだ。

 「バンドのバックとしても、マサやんが倒れる間際までやっていた。一時は世田谷で隣に住んでたこともあって、朝まで一緒のことも多かった。音楽には真剣で、熱い男でしたね」

 ただ、ロック界一の暴れん坊といわれるほど強烈な面もあった。

 「とにかくすぐにキレまくって、それがまたどこにスイッチがあるか分からないキレ方。ビール瓶で殴られたドラマーもいるんだ。だからみんな『距離を置け』って。僕は全盛時に渦中にいたけど、微妙に距離を置くのがうまかった(笑)。怒られたことはないな」

 同じころ、90年前後に杉山は憧れの人と会う。

 「ギターのJUN-BOH(河内淳一)の紹介で桑名さんとちょくちょく会うようになって。一緒のステージには立てなかったけど、カラオケで一緒に歌ったり、乱入されたり。その周辺に藤丸さんもいましたね」

 芳野との初ジョイントは、杉山の87年アルバム「kona weather」だ。

 「藤丸さんたち大好きなギタリストの方に、数曲のアレンジをお願いして。『DOUBLE RAINBOW』は今でも好きな曲です」。ただ、ステージでの共演は30年以上が過ぎた昨年が初めて。70年代の洋楽という意外なコラボだったが、それが翌年、リスペクトするマサやんのトリビュートにつながるのだから面白い。

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