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【ぴいぷる】歌は生きていく活力…大月みやこ「今が一番幸せだと思っているわ」 55周年でまさか!の発言も (1/2ページ)

 「歌い手になりたいと思ったことは一度もございませんでしたの」

 歌手生活55周年を迎えた大御所演歌歌手の口からまさかの発言だ。ちょ、ちょっと待ってくださいよ。

 55年という年月について、「年月を重ねてきたというよりは、ずっと続けてきたことだから…」とさらり。1964年のデビュー以来、地道に歌い続け、ブレークしたのは何と20年後。

 「歌手生活の前半は日の目を浴びていない切ない時代だって言われることもあるんですが、私にとっては毎日歌えることが幸せだったのよ。確かにテレビに出る機会は少なかったけれど、大スターの前座でも歌を聴いてもらえるステージがあることがうれしくてね。やせがまんじゃないの」

 いわゆる“苦節”の20年だが「普通なら5年、10年たって芽が出なければ、故郷に帰るって人もいるけど、誰も帰れって言わないし、家族も帰ってこいって言わなかったから」と振り返りながら「うふふ」と笑う。

 そんな歌うだけで幸せだった歌手が一皮むけることになる。スタッフが一新したのだ。そこで強烈な思いを突きつけられる。

 「自分だけいい気持ちで歌っていてはいけないってダメ出しされたんです。聴いている人に何かを感じてもらえるように歌を届けないとダメだって言われたの」

 本人いわく「歌い手の意識改革だったわ」という一撃だった。しかし、それがヒットにつながる。83年に発売した『女の港』だ。2年以上かけてロングセラーとなったこの曲で86年にはNHK紅白歌合戦にも初出場を果たした。

 55周年の記念シングル第3弾として4月にリリースした『せめてもう一度』(キング)は、アレンジに『木綿のハンカチーフ』などを手がけた萩田光雄氏を迎え、これまでの王道演歌とは一線を画した歌謡曲調のポップスに仕上がった。

 いじらしい女性を描いた歌で聴かせる声はまるで少女のような印象すら抱かれる軽快さだ。

 「変な話、新曲を聴いていただいたみなさんが、この年(73歳)になって、こんな声がよく出るねって言われるのよ。顔を見ないで聴いたら、何歳か分からないよって。まったく失礼よね」

 そう笑うが、やはり歌い手として声には強い思いを抱えている。

 「声って表情があると思うの。新曲だって、登場人物がいじらしく、いとおしい女性だと思うから、そういうイメージで声を響かせていますね」

 幼いときから歌が好きな少女だった。6歳のころから、童謡を習い始めるが、当時は歌謡曲全盛時代。「ラジオのスイッチをひねったら美空ひばりさんや三橋美智也さん、島倉千代子さんが聞こえてくるの。私、生意気にも『どんぐりころころ』じゃなくて、歌謡曲を歌いたいって。で、大阪の歌謡学校に通うようになったの」

 それがデビューのきっかけだった。学校の経営者がレコード店のオーナーだったこともあり、その歌声がレコード会社の関係者の耳に入ったのだ。そこからはとんとん拍子だった。

 「東京には行きたくなかったけど、1年ぐらいならいいかなって、いい加減だったのね。気がついたら歌手になってたのよ。毎日歌えるから楽しくてね。だから、歌い手になりたくてなったわけじゃないの。でも、その意識が間違いだったのよ」

 で、デビュー20年目の意識改革につながるわけだが、歌が大好きで続けてきた55年。歌は天職なのだろう。

 と、思いきや「天職だとは思ってないんです」とこれまた意外な言葉。

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