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【ぴいぷる】ギタリスト・内田勘太郎を“ブルース”が呼んでいる! 再び、今、なぜ…甲本ヒロトと「ブギ連」結成!

 ギターを歌わせたら、内田勘太郎の右に出る人はいないのではないか。ギターで歌うのではなくギターが歌うのだ。

 弦の一本一本が泣くのである。時には束になってむせぶのである。もっと速く弾く人や、複雑な音を出すギタリストはあまたいるのだろうが、独特の音色は彼固有のものだ。以前にテレビのCMで、単音のロングトーンだけで誰の演奏か当ててしまったことがある。ささやかな自慢だったが、「それ親戚のおばちゃんにも言われたことあるな」。つまり、そんなギタリストである。

 40と数年前、入学した高校の後ろの席に、後に「天使のダミ声」と称される木村充揮が座った。互いにギターを弾いた。最初は内田が歌い、木村がリードを弾いた。ある日、持ち場を変えてみると、お互い凄い。木村の友人、花岡献治をベースに加え、アンプを借りにいった軽音楽部の部長、島田和夫がドラムを叩いて奇跡のような偶然から日本のブルースバンド「憂歌団」は生まれた。「おそうじオバチャン」「胸が痛い」などの名演を残してバンドは休眠。約20年前からは主にソロで活動してきた。

 そんな内田が甲本ヒロトとユニットを結成し、アルバム「ブギ連」を発売した。あの「ザ・ブルーハーツ」「クロマニヨンズ」のパンクロッカー、甲本である。今、なぜ内田と甲本なのか。

 そもそも甲本は高校生のころから憂歌団のファンだった。内田は甲本の「リンダリンダ」に「こんな人、出てきたんだ」と注目し、同じ匂いをかいだ。ブルーハーツと憂歌団の共演から交流が始まり、内田は甲本の自宅も何度か訪ねた。家にはロバート・ジョンソンやエルモア・ジェイムスらのSP盤のコレクションがあり、蓄音機の大音量で聴いた。

 「ああ、本当にブルースの子なんだな」。内田にとって甲本は「ブルースを語り合える、世の中の3人のうちの1人」となる。ちなみにこの3人に木村は入っていない。「彼はケモノだからね、ある種の」。語るより本能でとらえるということなのだろう。

 5年前に内田が横浜のライブで甲本をゲストに呼び、打ち上げでアルバム制作の話が出たが双方の多忙で進まず、昨年、内田が居住する沖縄で再会してついに録音にこぎつけた。

 ■甲本ヒロトと「ブギ連」結成

 「ブギ連」の名はジョン・リー・フッカーの代表作「ブギ・チレン」にちなむ。詞を持ち寄り、内田のギターに甲本が歌い、ハーモニカを吹く。火花には殺気。そう来たならこう行くか。ブルースの基盤上で2人が自在に語り合う。そんなドキュメントのような録音は「2人で成立しちゃったところがうれしい。バンドとソロを20年ずつやってきて、時期も今がちょうどよかったのかな。いいやろ」の自信作だ。

 再び、今、なぜ、内田と甲本なのか。

 答えは、アルバムの中にあった。内田の作詞で甲本が歌う、「ブルースがなぜ」の一節。

 ブルースがなぜ 俺を呼んだ 遙か昔から決まっていたのさ(ペン/別府育郎 カメラ/佐藤徳昭)

 ■内田勘太郎(うちだ・かんたろう) ミュージシャン、ギタリスト。1954年1月22日生まれ、65歳。大阪出身。70年憂歌団結成。98年「マイ・メロディ」でソロデビュー。以降の主なアルバムに「暴風波浪警報」「Guitar Blues」「GUITAR SINGS」「DES’E MY BLUES」、木村充揮との「憂歌兄弟」など。バックで弾いてみたかった相手を聞くと「レイ・チャールズ」の名を挙げた。

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