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【ぴいぷる】マンガ家・永井豪 描くことが「存在証明」 思い入れの強い『デビルマン』、お色気シーンは“サービス精神”でつい… (1/2ページ)

 「50年の蓄積の断片です。生原稿はもちろん、未発表のラフスケッチ、今回のために描きおろした大きなイラストもあります。どなたも楽しめる展示になっていると思います」

 9月14日から「上野の森美術館」(東京都台東区)で始まる「画業50年“突破”記念 永井GO展」の見どころについてこう語る。

 ◆「デビルマン」に強い思い入れ

 今年、デビューから52年を迎えた。『ハレンチ学園』『デビルマン』『マジンガーZ』『キューティーハニー』など数々の代表作はマンガ、アニメの世界に新風を吹き込んだ歴史的な作品として知られている。

 なかでも特に思い入れが強いのは『デビルマン』という。

 「ストーリーマンガをやりたいと思いながら、ギャグマンガでデビューし、『ハレンチ学園』などが次々ヒットしました。ギャグマンガ家というレッテルが外せなくなり、要求されるのも『ハレンチ学園』のような色っぽい作品でした。そんななかで、作風の転機となったのが『デビルマン』でした」と振り返る。

 1972年から「週刊少年マガジン」(講談社)で連載を開始した『デビルマン』では、悪魔の力を手に入れた主人公、不動明とデーモン(悪魔)との戦いが描かれた。その前年、「週刊ぼくらマガジン」(講談社)で神と悪魔をテーマにした『魔王ダンテ』が始まったが、雑誌の休刊に伴って未完となっていた。『デビルマン』はそのテーマを受け継ぎ、シリアス路線になって初めてのヒット作となった。

 作風がシリアスに転じても、読者への配慮は忘れていなかった。求められていた色っぽさが、『デビルマン』にもしっかりと盛り込まれていたのだ。

 「読者がもう少し色っぽいのを期待しているかと思って、(ヒロインの)美樹ちゃんに頑張ってもらって、お風呂のシーンを入れたりしました。そういうシーンなしで頑張ろうと思っていたんですが、読者が期待していると思うとつい…」と笑う。

 個性的な作品を生み出す発想力に加え、期待に応えるサービス精神があるからこそ、多くのファンを獲得したのだろう。一時は、週刊連載を同時に5本抱えるという超売れっ子として多忙な日々を送っていた。

 ◆生きていた証し残したくて…

 常軌を逸した忙しさのなかでも、締め切りを守る意識は徹底していた。その思いは、石ノ森章太郎のアシスタントを務めた時代の苦しい経験から生まれた。

 「石ノ森先生は締め切りギリギリになることが多く、8畳ぐらいの部屋に、最大13社の編集者が詰めかけたことがありました。アシスタントは4人しかいなくて、『一刻も早く原稿を持って帰りたい』という殺気が背中に突き刺さるようでした。まさに『針のむしろ』という状態で、こういう状況だけは嫌だなと思いました。とにかく編集者に詰められるような状況になる前に、原稿を渡そうということを、デビューからのモットーにしています」

 原稿が締め切りに間に合わず連載を休んだのは、わずか1回だけ。

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