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【サム・ペキンパー監督 バイオレンスの系譜】アメリカン・ニューシネマの基礎を作った傑作 勝負をかけたラストの大銃撃戦 「ワイルドバンチ」(1969年)

 今年、没後35年を迎えたサム・ペキンパー監督。ペキンパーの代名詞であり、批判の対象でもある暴力描写はどうして生まれてきたのか。その作品をひもといていく。

 自分にはインディアンの血が流れていると公言していたが実際はドイツ系移民の子孫。曾祖父がベッケンバッハからペキンパーと改名した。読書好きで繊細な子供だったというから、その反動が出たのだろうか。

 大学卒業後、舞台演出家をするうち、テレビ局に脚本が認められ、ドン・シーゲルの弟子となったが、『ダンディー少佐』(1965年)でプロデューサーと衝突。4年間干されてしまう。復帰作が『ワイルドバンチ』(69年)だ。

 テキサスのある町。パイク(ウイリアム・ホールデン)ら6人組の強盗団「ワイルドバンチ」が訪れる。狙うのは鉄道管理事務所の銀貨。だがこれは賞金稼ぎが仕掛けた罠だった。パイクたちは銃撃戦で仲間を失いながらも銀貨を奪うが、中身はワッシャーだった。

 意気消沈した5人は最後のひと仕事のため、エンジェル(ジェイミー・サンチェス)の故郷メキシコに向かう。だがそこは革命の真っ最中でエンジェルの父は殺され恋人は連れ去られていた。怒り狂ったエンジェルたちは死ぬと知りながら、200人の革命軍と壮絶な撃ち合いを決意する…。

 実在した強盗団をもとにしたストーリーだが、アメリカン・ニューシネマの輝かしい基礎を作った傑作といわれる。そして滅びゆくアウトローの美学を描いた「最後の西部劇」とも評価される。だが公開時は過激さゆえに賛否両論だった。

 特に11日間ぶっとおしでマルチカメラ6台をフルに使ったラストの大銃撃戦は壮絶の一言。スローモーションを多用したバイオレンス描写は、アーサー・ペン監督の『俺たちに明日はない』(67年)に先を越された。ところがペキンパーは現場で「あの映画を葬ってやるから見ていろよ」と口癖のように言っていたというから、ラストシーンに勝負をかけたのかもしれない。鬼気迫るすごさを以後の監督たちが手本にしたのもうなずける。

 暴力描写はドン・シーゲルの影響もあるが、黒澤明の『羅生門』こそ最高の映画だと語っており、その影響は明白だ。

 当初、主演には親友のリー・マービンを起用予定だったがスケジュールの都合で断念した。(望月苑巳)

 ■サム・ペキンパー 映画監督。1925年2月21日生まれ、米カリフォルニア州出身。55年、テレビドラマ『ガンスモーク』で脚本家、監督デビュー。映画の監督デビューは『荒野のガンマン』(61年)。84年12月28日、心不全のため59歳で死去。

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