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音楽教育の原初までさかのぼってみると…(3) (1/2ページ)

 先日、TBSラジオの「プレシャス・サンデー」という番組に呼んでいただいて、そこで『平成日本の音楽の教科書』の話などをしたのですが、パーソナリティの山形純菜さん(現在25歳)は、学校の授業で実際に「箏」の演奏方法を習ったそうです。やっぱり、教科書に載っているだけではなく、平成時代はちゃんと授業で「邦楽器」を教えているんですね。もうちょっと今後リサーチしてみたいと思います。

 さて、前回は「音楽取調掛」--明治時代に作られ、現在の音楽教育の基盤を設定することになった機関--が、どのような目的を掲げて始まったかについて述べました。初代の取調掛長、伊沢修二は、国家的事業を推し進める心構えで持って、新生日本の「音楽」を生み出すために、「ヨーロッパと日本の音楽を折衷して新曲を作る」、「そこから<国楽>を生み出す。そのための人材を育成する」、「それを学校教育で普及させる」ということを、まず、宣言します。そして、伊沢は、この目的を達するために、まず、自国の音楽がこれまで使用してきた「音律」が、一体どのようなものなのかを確認する作業をおこないました。

 伊沢は、アメリカ留学によって学び覚えた西洋の音律・音階・音の構造を日本に持ち帰り、これまでの自国の音楽が、西洋の音楽とどれほど異なっているのか、ということについて、確認をおこないます。

 近代西欧音楽の理論の基盤となっているのは、一八世紀半ば以降に普及し定着した、いわゆる「十二音等分平均律」です(もちろん、基盤となっているのはそれだけではなく、倍音や差音その他、おもに物理現象に基づいた様々な事象が理論の深層にはある訳ですが、ここでは作品としての楽曲を支えている最表面の「音律」だけを、とりあえず対象にして話を進めたいと思います)。伊沢はアメリカへの留学でこの「音律」を学んだ訳ですが、彼は文部省に提出した「内外音律の異同研究の事」という書類において、西欧の「平均律」と、日本の、例えば、これまで演奏されてきた箏の楽曲や、三味線の音使いにおける「音高」と「音程」のシステムとがどれほど異なっているかについて、比較実験をしてみた、ということを報告しています。

 『洋楽事始 音楽取調成績申報書』(東洋文庫、山住正巳校注、平凡社、1971)から引用します。

其一 音楽教師メーソン氏来航の始めに当り、本邦在来の諸種の音楽を審聴せしめ、其音律の西律に異なる所ありや、又、其声曲の正理に適するや否を訊問せしに、同氏の言に「本邦音楽に熟する所の諸家奏する所は、毫も西律に異なることなし。但し、其旋律の法に於ては、少しく異なる所あり」と云いしか、今日に至りては、愈々其真に然るを信じて、毫も疑う所あるを見ず。(p.47)

  すいません。明治時代の文語体! なんて、いま現在、ネットで読んだりはしませんよねー。まあ、「我が国の伝統文化を大切に」というスローガンは、ぜひこういった江戸~明治期の文章を読む力に当てはめて普及させて欲しいと思いますが、えー、ざっくり概要を現代文してみます。学問は体力から! 右も左もぶん殴れ! 伊沢はこう言ったことを書いております。

 その1:メーソン(大谷注:伊沢の師)が来日したときに、彼に日本の数々の音楽を聴いてもらい、その音律が西洋のそれと異なっているところがあるか、また、その曲は西洋近代音楽理論に適合しているか、ということについて訊ねてみた。メーソンはそのときに、熟練した邦楽家の演奏した楽曲には「毫も」=「髪の毛一筋も」西洋の音律と異なっているところはない。ただ、メロディーの仕組みは多少異なっている部分があるが、と述べた。いま振り返ってみると、彼が下したこの見解はまったく正しかったと思う。

 はい。伊沢はこのように、まずメーソンの意見を聞いて、彼が「日本の音楽と西欧の音楽の音律はちょっとの違いもありませんよ」と述べたことを(回想の形で)提示します。

 このあとも原文は文語体ですが、概訳でサクサク続けますと、伊沢は、今度は日本の音楽家に同じ話を聞いてみます。すると、たとえば箏曲家の山勢松韻は、はじめてピアノの音を聴いた時から、その調律と「箏ノ調子」はまったく異なるところがなかった、と述べます。雅楽のプレイヤーたちも、彼らが使っている「十二律」はピアノの十二音とほとんど同じである、と答えました。メーソンと邦楽家は、どちらも同じ意見なのです(と、伊沢は述べています)。

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