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【サム・ペキンパー監督 バイオレンスの系譜】人々の度肝を抜いた…従来の戦争映画の常識を覆した傑作「戦争のはらわた」(1977年)

 『戦争のはらわた』も当時の人々の度肝を抜いた。これまで連合国側からの視点で撮ることが多かった戦争映画を、ドイツ軍視点で撮ったことや、ペキンパーの専売特許となったスローモーションの多用と戦闘シーンのリアルさだろう。

 「従来の戦争映画の型を破る」と話していた監督だけに安易な善悪二元論に異を唱えたかった意気込みが感じられる。以後の戦争映画制作者の大きな手本となっている。

 第二次世界大戦の激戦場になった東部戦線。クリミア半島でソビエト軍と対峙するドイツ軍。そこへシュトランスキー大尉(マクシミリアン・シェル)という名誉欲の強いプロシアの貴族が着任してきた。彼は鉄十字勲章が欲しかった。

 上層部の信頼が厚いシュタイナー伍長(ジェームズ・コバーン)と捕虜のソビエト軍少年兵の扱いで意見が対立。それ以来、シュトランスキーは彼を快く思っていない。

 シュトランスキーが司令部からの撤退命令を知らせなかったため、シュタイナーは最前線に取り残されてしまう。

 敵に包囲されたシュタイナーたちはソビエト軍の軍服を手に入れて脱出を図る。シュトランスキーはそれを知っていながら、部下に「これは敵の罠だ」として発砲を命じるのだった。

 ロケ地はユーゴスラビアだったので、マキシム機関銃などの兵器はユーゴ軍の実物を使用。ドイツ軍を苦しめた装甲の厚いソビエト軍のT-34戦車も実物。ソ連軍の空爆シーンの実写で出てくるF4Uコルセアは東部戦線に配置されておらず、太平洋戦争のものを使用したようだ。

 本作も難産だった。戦車を20台用意する約束が3台しか調達できず、スタントもたった5人。現在のようにCGもないので、死んでアップを撮ったら、すぐに別人のメークを施したという。

 大量に火薬を使うので資金繰りにも困った。言語もバラバラで意思伝達も満足にできず、連日スタッフやキャストがギャラを要求し暴動寸前。ゆえに監督はドイツ人プロデューサーと連日けんか、あげく酒に走り心臓を悪化させてしまった。

 実は直前『スーパーマン』と『キングコング』を撮らないかとオファーがあったが断った。もし撮っていたら…とも思う。アメリカでは『スター・ウォーズ』の陰に隠れた感があるが、西ドイツでは『サウンド・オブ・ミュージック』以来の大ヒットとなった。 (望月苑巳)

 ■サム・ペキンパー 映画監督。1925年2月21日生まれ、米カリフォルニア州出身。55年、テレビドラマ『ガンスモーク』で脚本家、監督デビュー。映画の監督デビューは『荒野のガンマン』(61年)。84年12月28日、心不全のため59歳で死去。

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