小松政夫さんが語っていた「理想の死に方」 「おやじ(植木等)の年まで現役で」願いかなわず - zakzak:夕刊フジ公式サイト

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小松政夫さんが語っていた「理想の死に方」 「おやじ(植木等)の年まで現役で」願いかなわず

 昭和の時代を彩ったコメディアンが旅立った。7日に肝細胞がんのため、78歳で死去した人気コメディアン、小松政夫(本名・松崎雅臣)さん。「しらけ鳥音頭」や「電線音頭」「小松の親分さん」で大爆笑しなかった人はいない。約1年にわたる壮絶ながんとの闘いはつゆほども見せず、笑いを振りまいた人生。「理想の死に方」を夕刊フジに“遺言”として語っていた。

 昨年11月に肝細胞がんが判明。入退院を繰り返しながら、抗がん剤治療を続けていた。体調を見ながら仕事も続けていたが、11月14日に入院。家族に看取られて、最期を迎えたという。

 自身の最期については昨年3月の夕刊フジのぴいぷる欄でこう明かしていた。

 「よく、『舞台で死ねたら本望』なんて言うけど、ホントに死んじゃったら周りは大迷惑ですよ。(千秋楽の)幕を引いてからコロリ、が最高なんですけど」

 「喜劇というのはね、本来、とことん笑いころげさせといて、最後にホロっと泣かせる。アタシはそれがやりたいんです」

 その言葉通り、コメディアン人生を貫いた。闘病が続いていた今年4月にも、夕刊フジのインタビューに応じている。取材した演芸評論家の高山和久氏は「サービス精神旺盛で、撮影でも元気な姿でポーズをとっていただきました」と振り返る。

 「今思えば、闘病のさなかにもかかわらず、自身の作詞に、伊東四朗さんがギターで曲をつけた歌を世に出したいと夢を口にしていました」

 そんな小松さんはこのとき、持病の薬を飲み、「糖分をとってはいけないんだ」とブラックコーヒーを頼むなど体を気遣っていたという。

 かつて数多いギャグの由来を聞いたとき、丁寧にジェスチャーをまじえて再現してくれたとも。「そのとき『僕の言葉はギャグじゃなくてフレーズ。ギャグとは違うんだよ』とおっしゃっていたのが印象的でした」と高山氏。

 「日本喜劇人協会の会長に就任したときも、パーティーの場で『ど~かひとつ』と両手を肩にかけていただきました。どこまでもコメディアンでした」

 小松さんは「おやじの年まで現役でいたい」との願いを持っていた。

 “おやじ”とは、師匠である植木等さん(2007年没)だ。1964年に運転手募集の広告をみて、トップセールスマンだった仕事をなげうって芸能界に飛び込んだ。そのときから植木さんは師匠であり、父親であった。

 植木さんは80歳で亡くなっており、願いはかなわなかったが、きっと今ごろ、天国で植木さんに「ど~かひとつ」と笑わせているに違いない。

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