【JAPANESE ROCK ANATOMY解剖学】PANTA「カップスはGSのなかでもロック色が強かった」 ミッキー「16歳でプロ、ザ・ゴールデン・カップス加入」 - zakzak:夕刊フジ公式サイト

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【JAPANESE ROCK ANATOMY解剖学】PANTA「カップスはGSのなかでもロック色が強かった」 ミッキー「16歳でプロ、ザ・ゴールデン・カップス加入」

 PANTA ミッキーが高校をやめるころなのかな、新宿のアップルというジャズ喫茶(今でいうライブハウス)で、横浜のバンドを観たことがあるよ。BeBesは、シンキ(陳信輝)がギターで、ベースが柳ジョージで、ボーカルが誰だったかな?

 MICKIE CHIBOW(竹村栄司)だよ。パワーハウスというバンド名になる前だね。実はBeBesはその前、ミッドナイト・エクスプレス・ブルース・バンドという名前だった。マーちゃん(ルイズルイス加部)がザ・ゴールデン・カップスに入るからってバンドを抜けたとき、そこに僕が代わりに入って、名前がBeBesに変わったんだ。1967年いっぱいまでいたかな。PANTAが観たBeBesは多分、僕が抜けて少ししたあとだと思う。

 P えっ、ということはアップルの前にBeBesをもし観ていたら、そこにミッキーはいたんだね。いやもう俺よりひとつ年下なのに、驚くことばっかりだね。

  で、僕は68年の夏前に、高校をやめてザ・ゴールデン・カップスに入るんだ。デイヴ平尾(ボーカル)が家に来て、正式にオファーされた。それ以前にもセッションしたり付き合いがあったし、自然な流れだったかな。6月14日の新宿ACBが、僕のカップス・デビューだった。4月に出した「長い髪の少女」がすでに大ヒットしていたね。

  そのころは、ザ・タイガースも「君だけに愛を」、ザ・テンプターズも「エメラルドの伝説」を出していて、ジュリー(沢田研二)とショーケン(萩原健一)のGS人気が頂点に達していた。マネしたいバンドもいっぱい出てきていたね。

  当時のGSのシングルというと、たいていA面は著名な先生方に作ってもらっていた。僕が入ってから最初のシングルの「愛する君に」(9月発売)も、作詞はなかにし礼さん、作曲は鈴木邦彦さんだった。

  テレビを意識していたり、売れ線で作られていたね。レコード会社の意向が強かったんだろうし、アイドル的な要素もあった。

  でも、それがGSのすべてじゃなかった。みんな、洋楽を聴いていて、ロックが大好きだったからね。シングルでもB面はバンドで作らせてもらえることがあって、「長い髪の少女」(橋本淳作詞、鈴木邦彦作曲)のB面の「ジス・バッド・ガール」を作曲したのは、マーちゃん(ケネス伊東作詞)。ロックでものすごくカッコいいから、ぜひ聴いてほしい。

  GSの流れのなかでもカップスは、ほかとは一線を画した、特にロック色が強いイメージがあったね。いくつかのバンドは、ライブになると自分たちのヒット曲のほかに、洋楽をカバーして、ガラリとロックに様相を変えていたりしていたけど、カップスはその代表だった。演奏しているレベルも高かった。

  カップスは僕が入った前もあとも、洋楽のカバーをたくさんやっていたよね。

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