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【ぴいぷる】元ユネスコ職員、異色のノンフィクション作家・川内有緒 「表現者の人生を描くことで自由になれる」 (1/2ページ)

 行動派作家として知られる開高健(1930~89年)を記念し、創設された「開高健ノンフィクション賞」。今年の同賞に輝いた著書『空をゆく巨人』(集英社)が先月、発売された。

 火薬を爆発させて描いた「火薬絵画」など、ダイナミックな作品制作で知られる中国を代表する現代美術家、蔡國強さんと、福島県いわき市で会社を経営する志賀忠重さん。生まれも育ちも異なる主人公2人の出会いから、約30年にわたる交流の軌跡を描いた。

 信頼で結ばれた2人の「巨人」は、世界を舞台に「アート作品」を生み出していく。作品を読むと、蔡さんと志賀さんの豪快な生き方にただただ、圧倒される。著者自身が「本当にこんな人たちいるのかって、ちょっとびっくりしますよね。現代の神話という感じがしませんか」と驚くほどだ。

 そう語る本人の人生も相当、型破りだ。

 小学生から映画に熱中し、高校時代には別の学校からもキャストを集め、作品を製作していた。「すごく楽しかったから、このまま映画を作り続けよう」と思っていたが、進学した日本大学芸術学部で挫折した。

 「大学は放送学科だったんですが、テレビ番組にまるで興味を持てませんでした。それまで自分中心に何でもできていたのが、エゴの塊みたいな学生がわんさかいて、意見を戦わせるのが嫌になりました」

 映画製作をあきらめた後に興味を持ったのは、米国。大学在学中に遊びに行った際、現地のライフスタイルに憧れ、大学卒業後、米国に渡って大学院に進学した。

 修士号を取得した後には、米国のコンサルタント会社で働き始めた。

 「就職してしばらくしたら、ほかの社員がみんな、やめてしまったんです。社長はいつも飛び回っていて、『お前に任せた』ってことになって全部の業務が私に乗っかかってきました」

 本来のコンサルタント業務に加え、資金繰りや訴訟対応、人材の採用まで担当。3年間の勤務で、「経営を学ばせていただきました」と笑う。

 ビザが切れるのに伴い、帰国して日本のシンクタンクに転職。3年弱働いた後、ユネスコ(国連教育科学文化機関)に転じ、仏パリでの暮らしが始まった。

 仕事のかたわら、現地でアーティストとの交流を深めたことが、次の転機となった。「もともとアートや芸術が好きだったということもあるし、アーティストといると心が安らぎました。物を表現する人に囲まれるというのは何て幸せなんだろうと思い、自分も物を作ってみたいと思い、文章を書くようになりました」と振り返る。

 幸い、コンサルタント会社時代に多くのインタビューをこなし、文章としてまとめることに慣れていた。パリで働き、生計を立てる日本人の姿を描いた作品が、2010年のデビュー作『パリでメシを食う。』(幻冬舎文庫)となった。

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