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【ぴいぷる】「町中華」を徹底調査! ノンフィクション作家・北尾トロさん「味はソコソコ。化学調味料はギンギン。でも、なせだか行きたくなる」 (1/2ページ)

 「何だソレ? 町中華なんて言葉、初めて聞いたぞ!」

 6年前、学生時代から通っていた東京・高円寺の中華料理店に「久々に行こう」と友人のライター、下関マグロさんを誘ったら、閉店していた。このとき、ボソッと「町中華はどんどん減っていくな」とツブやいたら、「町中華って?」とマグロさんが大きく反応したことが新鮮だった。

 「以前から年長の人たちが普通に町中華と話していて、頭に入ってました。『街中華』では立派な感じ。小さな駅や住宅地にあるイメージです」

 町中華は個人経営の大衆的な中華食堂のこと。入り口に鉢植えと出前機を載せたバイク、食品サンプルにはラーメン、餃子などの中華のほか、カツ丼、カレー、オムライスも並ぶ。店内に入ると、高齢の店主が鍋を握り、テレビがついていて、油まみれの漫画誌がある。

 「安くてボリュームがあって味はソコソコ。おいしすぎない。化学調味料をギンギンに使っている店もある。でも、なぜか週1回は行きたくなるんです」

 かつては1つの町に何軒もあった。しかし、店主の超高齢化と後継者不足などで、続々と閉店に追い込まれ、絶滅寸前という。

 「『東京五輪後に閉める』と言う店主は多いんですが、すでに予告もなく閉めた店もあって、町中華はまさに一期一会の状況。なくなって騒ぐより、今あるものを記録するのが重要だと思いました」

 で、町中華探検隊を結成。雑誌「散歩の達人」に連載し、共著で「町中華とはなんだ~昭和の味を食べに行こう」(立東舎)などにまとめ、「ぶらぶら町中華」(CSテレ朝)にも出演した。そして今回、町中華がどのように誕生して発展したのかを徹底的に調べたのが「夕陽に赤い町中華」(集英社インターナショナル)。

 「戦後、小麦を売り込みたい米国が学校給食にパンを普及させ、闇市でも、余った小麦を使ったラーメンの屋台が増えた。その後、戦争帰りの人が中華食堂を始めます。店主には洋食や和食出身の人もいて、自然、オムライスやカツ丼もメニューになりました。そして高度成長。大企業の工場近くには、安月給の工員さんのための町中華がどんどん増えていきました」

 福岡出身。中2のときに父親の転勤で兵庫・尼崎に引っ越すと、九州弁を使う転校生はいじめられた。学校では1年間はほとんどしゃべらず、日曜になると自転車で伊丹の映画館に行き、マカロニウエスタンを見てストレス発散。高2のときに父親が再び転勤、東京・立川に引っ越す。

 「大学に合格した直後、父親が48歳の若さで亡くなって。何度も転勤して頑張っても、宮仕えはつまらない。サラリーマンにはなるまいと思いましたね」

 地下鉄による地盤沈下を測量するアルバイトなどをして大学は留年。金曜に給料をもらって土日に全額を競馬につぎ込むという生活を続けていた。

 「そうこうするうち、編集プロダクションでバイトしていた大学の後輩が辞めることになって、『後釜を連れてこい』と言われ、ライターという仕事があることすら知らなかった僕が行ったわけです」

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