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《zak女の雄叫び お題は「平成」》人生は本当にわからない

 10連休中、国立公文書館(東京都千代田区)で開催していた特別展をふらりと見に行ったら、30年前、小渕恵三官房長官(当時)が掲げた「平成」の本物の額縁が展示されていた。昨年以来、新元号決定や改元に至る政府動向の取材に追われ、過去記事や写真など関連資料で小渕氏が掲げた「平成」は見慣れていたが、実物は初めてだった。

 正直、拍子抜けした。 額縁そのものや「平成」の文字はもっと大きく、力強いと思っていた。「なんだ、こんなものか」-。そう感じながら額縁に見入っていたら、隣にいた高校生の娘が顔をのぞき込んでひやかした。「ママ、もしかして、感動してる?」。感動はしていない。でもなんだろう、この気持ちは-。

 記者は10代で平成の代替わりを迎えたが、その日のことは今もはっきりと覚えている。テレビで連日、昭和天皇の病状が伝えられ、何となく社会が重苦しい雰囲気に包まれていたこと。昭和天皇が崩御した昭和64年1月7日は同級生らとスキー場にいた。「ヘイセイ」という新しい元号を最初に聞いた時、何か新しいことが始まる予感がした。友達と「元号、ヘイセイになるんだって」「ヘイセイ?」「うん、ヘイセイ」。その日を鮮明に覚えているのは、スキーに出かけた友達の中に外国人留学生もいたからだろう。誰も英語で「平成」の意味を説明できず、一緒に「ヘイセイ、ヘイセイ」などと口ずさみながら笑いあった。

 そんな楽しい時期はあっという間に過ぎ、平成の時代に私は社会人になり、母になった。人生を四季に例えれば、夏のようなギラギラとした晴れの日も台風のような経験もし、まさに激動の30年だった。気づけば平成生まれの娘は高校生になり、私は会社で小さな所帯ながらも後輩を指導する立場になった。

 家族や上司など周囲に助けられて記者と子育てを両立する日々は多くの失敗と後悔、そして喜びの繰り返しだった。それでもなんとかここまで生き延びた。それが私にとっての「平成」だったと思う。そして、体力が落ち、白髪が目立ち、はじけるような若さを失った40代で、平成に替わる新しい元号の取材をし、「平成」の本物の額縁をこの目で見る日が来るとは思いもしなかった。人生は本当にわからない。

 上皇さまがお元気な中での新元号「令和」の誕生に国民がわいたのは、若い人にとっては元号という日本独特の文化を再確認し、新鮮だったからだろう。ある程度年を重ねた人にとっては、元号はたぶん自らの人生を投影する二文字なのだ。インターネットが定着し、日常生活では西暦のほうが便利なことも多いが、今後グローバル社会が進んでも、日本人は元号を使い、親しみを持ち続けるのではないか。

 私の娘には平成、令和、そしてさらに先の時代に命をつないでほしい。それが親の願いだ。平成は多くの自然災害に見舞われた一方で、戦争のない時代でもあった。令和とその先の時代も日本は総じて平和であり続けられるだろうか。

 現役世代は今の平和と繁栄を次世代に引き継ぐ責任がある。あとどのくらい政治部記者でいるかはわからないが、新時代の政治をしっかり見つめていきたいという思いを新たにしている。(M)

 「令和」の典拠である万葉集の関連本が書店に並ぶも、読破する気力はわかず、知的探求心の欠如も痛感する日々。

【zak女の雄叫び】取材や日常…。女性記者21人が月ごとのキーワードで本音を綴るリレーコラムです。4月のお題は「平成」です。

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