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《zak女の雄叫び お題は「夏休み」》あの時代を生きた人たちから学ぶ

 暑い夏がまた今年も巡ってきた。広島、長崎の原爆投下、ポツダム宣言受諾…。1年の中で毎年この時期がもっとも多く、先の大戦について取り上げられるのではないだろうか。大阪で大日本帝国海軍中尉の加藤●(=日の下に舛)(のぼる)氏(96)に出会った。お年もさることながら加藤氏の言葉に姿勢を正される思いがしたので、お伝えしたい。

 加藤氏は京都市出身。レイテ沖海戦で零式水上偵察機の搭乗員として航空巡洋艦「最上」に乗艦。終戦間際には特攻出撃を待つ身となり、教官として大井海軍航空隊(静岡県牧之原市)に転籍、終戦を迎えた。

 戦争の話は壮絶だ。レイテ沖海戦で「最上」で出撃したとき、一緒に航行していた戦艦「山城」は真っ二つに、「扶桑」は逆立ちになって沈んでしまった。えい光弾で昼真のように明るい中、海に落ちる仲間の姿が見えるが出撃中のため助けることはできない。

 夜が明け、「最上」だけになり、その「最上」も自分がさっきまでいた艦橋に砲弾が命中して、艦長らは即死した。

 特攻出撃では、隣のベッドで同期が童謡「ふるさと」を小さな声で歌っていたのが忘れられない。今も「ふるさと」を歌えないという。

 大阪で開催された「大東亜戦争を語り継ぐ会」で1100人の観客の前で語った内容だ。そして最後に、「出撃する同期から『後を頼む』といわれた。私が戦後生まれの皆さんにお願いしたいのは先祖を大事にし、日本を頼むということです」と締め括った。

 こうした方々の言葉は戦後民主主義の下、封じられてきた。

 東京で行われた「大東亜戦争を語り継ぐ会」では、旧日本陸軍大尉の常盤盛晴(ときわ・もりはる)氏(98)も話すときには車椅子からおりて、背筋を伸ばしていた。

 数日前、会社にかかってきた電話を偶然とると、栃木県足利市に住む90歳の女性だった。

 「大好きなお父さんが戦争に行き、長女の私に当時のことを語ってくれました。父親は70歳で亡くなりましたが、父から聞いた話をお伝えしたい。私も、そう長くはないでしょうから…」

 呼吸器をつけながらの電話だったため詳しくは聞けなかったが、その女性の父親は戦争について家の外で話すことはなかったが、長女ということでこの女性には手紙も含め託していたという。

 戦後74年。経済発展を遂げた日本を支えてくださったのが加藤氏をはじめとした大正生まれの方々だった。しかし、戦後民主主義の下、元軍人が語ることは「戦争礼賛、美化する」と言われ、家族に話せなかった人もいた。

 しかし、当時を知る人たち全てがこの世を去る日もそう遠くはない。この人たちの体験、思いを聞ける時間はそう残されていない。

 私たちは生かされているのだ。託された責任は重い。(杉)

【zak女の雄叫び】取材や日常…。女性記者21人が月ごとのキーワードで本音を綴るリレーコラムです。8月のお題は「夏休み」です。

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