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自戒をうながす責任感あふれた想い

 126代に及ぶ天皇の中でも、特に仁徳の深い天皇として語り継がれているのが後花園天皇です。今から600年前の1419(応永26)年に生まれた第102代の後花園天皇。

 飢饉や疫病で庶民が貧窮していたとき、ぜいたくにふけっていた室町幕府の将軍足利義政に次のような詩を送った話はよく知られています。

 「残民争いて採る首陽の蕨(わらび) 処々炉(ろ)を閉じ竹扉(ちくひ)を鎖(とざ)す 詩興の吟は酣(たけなわ)なり 春二月満城の紅緑誰がために肥ゆる」という詩。「今にも死にそうになっている民は飢餓ですっかり困り、まるで故事にうたわれた、争って山で蕨を採るような状態です。お櫃(ひつ)に蓋をし、風雅を愛で、詩を詠もうにも花の盛りを傷(いた)み悲しむばかりで、この麗しい紅い花と色鮮やかな葉はいったい誰のために繁るものなのでしょうか」という意味です。『新撰長禄寛正記』に記されています。

 送られた足利義政は天皇の想いを受け、新殿の造営を一時中止しました。義政は後花園院が崩御された際、周囲の反対を押し切って葬儀にも四十九日の法要などにもすべて参列しています。

 学問に励み、皇子である後土御門天皇に与えた教訓状も知られる後花園天皇。和歌を尊び、御自身の『御製和歌集』も編まれました。

 掲出歌は、「ひたすら思え、空にたった一つ太陽があるように、天下に一つだけの日本の国。その国で類無い立場で生まれたわが身のことを」という歌意です。自戒をうながす後花園天皇の責任感にあふれた想いが伝わります。後花園天皇は、「よろづ民うれへなかれと朝ごとにいのるこころを神やうくらむ」(すべての民がどうか憂いなく暮らせますようにと朝ごとに祈っているこの気持ちを神様はお受けくださっているだろう)という御製(和歌)も詠んでいます。

 昨日(8月21日)は後花園天皇が譲位してからちょうど555年の節目となる日でした。掲出歌を紹介し、室町時代の聖君と讃えられた生涯を偲びたいと思います。(歌人、作家・田中章義)

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