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《zak女の雄叫び お題は「夏休み」》「樺太の歴史に触れ、伝える思い新たに」

 今年の夏は初めて北海道へ旅行に行った。といっても、2泊3日で札幌と小樽をめぐる旅で、広大な大地の自然を感じるというよりは、美しい街並みや新鮮な海鮮丼、地ビールを楽しむのがメイン。のはずだったが、改めて先の大戦や今なお未解決の北方領土返還問題に思いを馳せることになった。

 明治の開拓時代の雰囲気を色濃く残す赤れんがが特徴的な北海道庁の旧本庁舎を見学したのがきっかけだ。

 「四島返還 ひとりの力が 大きな力に」

 北海道庁の正面玄関にはこんな横断幕が掲げられている。

 そのすぐ横にあるのが旧本庁舎だ。そこには北海道の開拓の歴史や北方領土について説明する資料館などが設けられている。中でも戦前の1941(昭和16)年には約40万人の日本人が暮らしていたという樺太(サハリン)の歴史を展示した樺太関係資料館では、多くのことを考えさせられた。

 樺太では、厳しい気候風土の中、多くの日本人が本土や北海道から移住し、生活していた。学校もでき、産業も発展。街も整備され、平穏な時代が続いたが、戦局の悪化で状況は一変した。旧ソ連軍による攻撃で多数の犠牲者が出たほか、住み慣れた土地を追われ、本土に引き上げた樺太出身者は戦後、生活するために苦難の連続だった。

 激動の歴史を物語る展示物一つ一つに胸が打たれた。

 かつて樺太に住んでいた人たちも高齢化が進み、当時の記憶を語り継げる人たちが減っている。樺太での暮らしや引き上げてからの苦労も含め、生き抜いてきた人の話が聞きたい-。こう思い、北海道から大阪に帰ってから、当時女学生で、樺太に住んでいたという大阪市の女性(87)に取材を申し込んだ。女性からは「ここのところずっと体調が悪く、話すのは難しい。本土に渡ってからも苦労の連続。今は長屋暮らしでみじめな生活をしているので恥ずかしい」と断られてしまった。

 ただ、今でも旧ソ連軍から爆撃されたときのことは鮮明に覚えていた。

 「終戦後、街では至るところに白旗を立ていた。それにもかかわらず、ソ連軍の飛行機が上空に現れ、爆撃された。本当に驚いた。あの光景は忘れない」。女性は、まるで昨日のことのように当時の様子を語った。

 どれだけの苦労と恐怖があったのか。女性の人生を思うと胸が苦しくなった。故郷を追われ、必死の思いで生き延びてきた人たちの思いを伝えなければならない。そう思わずにはいられなかった。(有)

【zak女の雄叫び】取材や日常…。女性記者21人が月ごとのキーワードで本音を綴るリレーコラムです。8月のお題は「夏休み」です。

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