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日本の新たな歴史が生まれた究極の相聞歌

 今回は初代天皇として語り継がれる神武天皇の御製(和歌)を紹介します。日本では初代の神武天皇から現在の令和の天皇まで、126代にわたって、天皇が和歌を詠み続けています。

 掲出歌は、『古事記』に載る一首です。「葦原の、葦の繁った小屋に菅のむしろをしっかりと清め敷いて、私は妻として迎えたひめとともに夜を過ごした」という歌意です。神武天皇が皇后として迎えたのは、日本の神話で大国主命(おおくにぬしのみこと)の孫であり、事代主命(ことしろぬしのみこと)の娘とされる比売多多良伊須氣余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)でした。『日本書紀』では、媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)の名でも語り継がれます。

 『古事記』『日本書紀』では、天孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)のひ孫と称される神武天皇。こうした書によれば、神武天皇は豊かで平和な国づくりをめざして、九州高千穂の宮から東に向かい、艱難辛苦(かんなんしんく)を経て、畝傍(うねび)山の麓の橿原に都をひらき、この地で即位式をおこないました。このときの神武天皇の即位の日(2月11日)が、今も国民の祝日の建国記念の日です。

 国の平定までに神武天皇は3人の兄を失いました。各地に有力な豪族がいた時代。神武天皇は、即位式の際に「六合(りくごう)を兼ねて都を開き、八紘をおおいて宇(いえ)となさん。また可(よ)からずや」と語ったと伝えられています。これは、「これからは国じゅうが一軒の家のように仲よくしていこう」という意味です。

 血で血を洗う時代を終え、新時代への平和宣言ともいえるメッセージを即位式で出したのが初代天皇の神武天皇でした。

 天照大御神の流れをくむ神武天皇が、出雲の神のゆかりのひめを皇后に迎え入れたとき、日本の新たな歴史が生まれたのです。この際に生まれた掲出歌。現代から見れば、言葉は難しくても、平和を祈り願った初代天皇の思いを忘れずにありたく思います。この一首こそ、実は究極の相聞歌(恋の歌)なのかもしれません。(歌人、作家・田中章義)

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