【最新国防ファイル】エルトゥールル号遭難事件から130年…日本とトルコの「信頼関係」醸成へ続く交流 - zakzak:夕刊フジ公式サイト

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【最新国防ファイル】エルトゥールル号遭難事件から130年…日本とトルコの「信頼関係」醸成へ続く交流

 今年は、オスマン帝国(一部は現在のトルコ)の軍艦エルトゥールル号の遭難事件から130年の節目を迎える。日本人には、あまりなじみのない遭難事件だが、トルコ海軍に入隊すると、「戦史」の1つとして必ず学ぶという。

 1890年6月、軍艦エルトゥールル号は11カ月をかけて横浜港へやってきた。皇帝親書を明治天皇へ奉呈し、親善訪日使節団としての役目を果たした。乗員にコレラが出るなどして、帰国予定は先延ばしとなった。9月に入り、ようやく帰国の準備が整った。

 日本側は、台風が近づいていることを理由に、滞在期間をさらに伸ばすことを提案するが、エルトゥールル号は帰国を急ぐ選択をし、9月15日に出港した。翌16日午後9時ごろ、現在の和歌山県串本町沖に差し掛かったあたりで、台風の影響を受けて座礁してしまった。機関部に浸水し、水蒸気爆発を起こし、同10時半ごろ沈没した。

 近くの灯台付近に泳ぎ着くなどした69人は助かったが、乗員の大多数(587人)は死亡または行方不明となった。地元住民たちは、生存者たちを治療し、衣服や食料を与えた。義援金も集められた。

 明治天皇は「可能な限りの支援を行うように」と政府に命じた。日本帝国海軍は、生存者を帰還させる任務を帯びた。「比叡」と「金剛」の2隻が、神戸港で生存者を乗せて、オスマン帝国へと向かった。

 長期航海がまだまだ困難な時代。日本がここまで手を尽くしてくれたことにオスマン帝国は感謝し、今日まで語り継がれてきた。

 1985年3月17日、イラン・イラク戦争の最中、サダム・フセイン大統領は、すべての航空機を対象に、イラン上空の飛行を禁止した。このため、215人の日本人がイランに取り残されそうになった。

 彼らを救助したのがトルコ政府だった。「エルトゥールル号遭難事故の際の恩義に報いる」との発言をしたと伝えられている。

 現在、海上自衛隊とトルコ海軍の関係は良好だ。信頼関係の醸成を目的とした相互艦艇訪問は何度も行われている。

 2015年5~6月にかけ、トルコ海軍のフリゲート「ゲディス」が日本にやってきた。その際、寄港地の1つとして、和歌山・串本に滞在し、改めて地元の方々に感謝の意を伝えている。その後、東京・晴海埠頭(ふとう)へ入港した。

 集まった取材者に対し、今回の航海が「エルトゥールル」号の足跡をたどり、日本人に感謝するのが目的だと伝えられた。艦内には、VIPや幹部が使う公室が2カ所あり、それぞれに「比叡の間」「金剛の間」と名付けられていた。

 すでに1世紀以上も前の悲惨な遭難事件であるが、あの時の日本人が差し伸べた手のぬくもりを、トルコの方々は今も覚えていてくれている。

 そして、今年9月16日、串本町にある「エルトゥールル号遭難慰霊碑」前にて、日本トルコ友好130周年の追悼式典が開かれた。

 ■菊池雅之(きくち・まさゆき) フォトジャーナリスト。1975年、東京都生まれ。講談社フライデー編集部を経てフリーに。陸海空自衛隊だけでなく、米軍やNATO軍、アジア各国の軍事情勢を取材する。著書に『自衛隊の戦力-各国との比較』(メディアックス)、『陸自男子-リクメン』(コスミック出版)など。

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