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麻原元死刑囚、執行7分前に残した“不吉な遺言”の謎 オウム残党暴発の恐れも (2/3ページ)

 四女は1989年に静岡県富士宮市の教団施設で生まれた。2歳ごろに旧上九一色村に移り、3歳で立位礼拝(りついらいはい、立ち上がったり体を床にはわせたりする修行)を2時間こなすなど、修行三昧の日々を送ったという。

 麻原元死刑囚の逮捕後、家族は関東の教団施設などを転々としたが、四女は16歳で家出した。2007年4月にはジャーナリストの江川紹子さんが四女の未成年後見人となったが、同年9月には後見人の辞任許可申立書をさいたま家裁に提出した。江川さんは生活費や住居を提供するなどの支援を行っていたが、四女が麻原元死刑囚を「グル」と崇める気持ちや宗教的な関心が深まっていたことを辞任の理由に挙げている。

 10年には「松本聡香」(仮名)名義で『私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか 地下鉄サリン事件から15年目の告白』を出版した。産経新聞の15年のインタビューでは家出した当時の心境を「父の娘であることで生きていくのがいやになった。被害者の賠償に充てられるべきお金で生活したくない」とし、麻原元死刑囚について「自己愛が強く、詐病で自分を守っているのだろう」とも話していた。昨年10月には自分の推定相続人から両親を除外するよう横浜家裁に申し立て、認められた。

 麻原元死刑囚は妻との間に2男4女をもうけたとされるが、現在は一族から決別したはずの四女を遺体の引き取り手に指名した理由については謎が残る。

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