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【大前研一 大前研一のニュース時評】人材難も…「廃炉」は日本で一番の成長産業 政府は名称変更など検討を (1/2ページ)

 日刊工業新聞の情報サイトは8月21日、「東電と大学の思惑、一致せず/足りない廃炉人材」と題する記事を掲載した。

 これによると、30-40年はかかるといわれる東京電力福島第1原子力発電所の廃炉作業を支える人材育成について、実際に現場で求められるのは、大学が育てる廃炉技術の研究者ではなく、日々発生する汚染水対策や核燃料デブリの取り出しなどトラブルに対応しながら計画ができるプロジェクト・マネジャーであると紹介している。

 また、廃炉には機械や土木などさまざまな分野の知見が必要だが、原子力産業を志望する学生は少なくなり、肝心の原子力学科でも廃炉を学ぼうとする人はほとんどいないという。

 私がマサチューセッツ工科大学(MIT)の原子力工学科で学んだ1970年前後、同級生は130人もいた。当時の原子力はマンハッタン計画から平和利用にシフトし、未来に輝く夢の産業といわれていた。核化学のマンソン・ベネディクト教授や核物理学のノーマン・ラスムッセン教授ら、超有名な先生が教えていた。ところが79年3月、米ペンシルベニア州のスリーマイル島で原発事故が起き、原子力工学科の人気は急降下した。

 私がMITの社外取締役をやっていた97年ごろ、この学科に学生が集まらないため、「(学科の様子を)実際に見て、やめるかどうかを決めてくれ」といわれたことがある。

 教室に行ってみたら、学部長は依然として昔お世話になったラスムッセン教授であったが学生は15人程度に激減していた。しかも米国人は1人もいない。ほとんどがアフリカの国から奨学金をもらってやってきた学生だった。当時の米国では、「原子力を研究しています」なんて言うと彼女ができないとまで言われていた。そんなわけで、原子炉をMITで勉強するのはアフリカの学生だけになった。

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