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【zak女の雄叫び】《zak女の雄叫び お題は「残」》孫世代がつなぐ「慰霊の心」 (1/2ページ)

 今夏、終戦の日を迎えるに当たり、戦没者遺族を取材する機会があった。先の大戦から73年。慰霊の現場は今、戦没者の「子供たちの代」から、「孫世代」へと移り変わろうとしていた。家族の物語に思いをめぐらし、後世に生きる自分たちができる“慰霊の在り方”を模索する姿がそこにあった。

 日米両軍の激戦地となった硫黄島(東京都小笠原村)で、戦没者の遺骨収集を続ける男性もまた、慰霊の在り方を模索する1人だった。男性は、硫黄島の戦いで指揮を執った栗林忠道陸軍中将の兄の孫で、その生家を継いでいる方だ。公立中学校長を務めた後、現地に残る日本人の遺骨収集に尽力していた。

 一兵士だった叔父も硫黄島で戦死しているが、「忠道の指揮で多くの人が亡くなった。そのことを考えれば自分もできる限り遺骨を収集し、本土に帰還させる一助として頑張っていきたい」と話す姿が印象的だった。

 硫黄島での遺骨収集は困難を極める。日本軍は当時、無数の地下壕を築いて戦いを展開したが、米軍による地形が変わるほどの砲撃にさらされ、多くの地下壕は入り口がふさがれ、埋没した。当時の様子を知る関係者も少なくなった。

 地下壕は地熱で気温が50度を超える場所もあるという。そんな環境下にあっても「遺骨を必ず本土に持ち帰る」と一心不乱に土に向かう。その様子を思い浮かべると、頭が下がる思いがした。

 8月15日、日本武道館(東京都千代田区)で開かれた「全国戦没者追悼式」にも孫世代の姿があった。

 祖父とともに来ていた長野市の女子高生はこの日初めて、式典に足を運んだという。

 曽祖父が西部ニューギニアで戦死し、現地などで慰霊活動を続ける祖父の背中を見る中で「自分も慰霊に関わりたい」と思うようになった。「もっと家族のことを知りたい」「平和について考えていきたい」。戦争の風化が懸念される現代にあって、そう語る女子高生の姿がまぶしく映った。