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【ここがヘンだよ!日本】柴山文科相の発言から端を発した「教育勅語論争」 何が問題点なのか? (1/2ページ)

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 柴山昌彦文科相が就任会見で、教育勅語に関する認識を問われた際、「現代風に解釈され、アレンジした形で、道徳などに使えるという意味で普遍性を持っている部分がある」と答え、この発言が物議を醸している。

 立憲民主党の辻元清美国対委員長は「言語道断だ」「昔なら、その一言で即クビだ。首相は同じ考えなのか」と述べ、国民民主党の玉木雄一郎代表も「教育をつかさどる大臣の発言としては軽率だ」と非難している。

 そもそも、教育勅語は1890(明治23)年、明治天皇が時の首相と文相に与えた勅語で、太平洋戦争以前は「国民道徳の指導原理を示すもの」とされた。学校では、生徒に暗唱させ、学校儀式で奉読される、などの慣習があった。

 しかし、敗戦後に日本国憲法の理念に基づく教育方針を定めた教育基本法を制定するにあたり、政府と国会で、教育勅語の特別な地位が否定された経緯がある。現代の教育行政において、教育勅語の持つ特別な地位が否定されていることに関しては、与野党超えて議論の余地は全くない。

 では、今何が問題になっているかというと、「一文書である教育勅語の価値を、柴山氏が個人としてどのように認識しているのか」だ。こうした観点で、柴山氏と野党幹部らの発言を見ると、物事が整理して見える。

 まず、柴山氏の発言だが、公式性が否定された一道徳文書に対し、文科相という立場で所感を述べること自体が、たとえ記者から質問されても、不適切と言わざるを得ないだろう。その意味で、玉木氏の問題意識は極めて正しい。

 一方で、辻元氏の批判もおかしい。

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