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【勝負師たちの系譜】名人位にあと一歩届かなかった“不運の棋士”たち (1/2ページ)

★名人戦(3)

 名人位は400年の歴史があるだけに、その間には当然、悲運の棋士がいるし、悲劇の一局(一手)で、名人になれなかった棋士がいる。

 江戸時代末期には天野宗歩(そうほ)という天才棋士がいた。棋聖と呼ばれて日本一の強さを誇ったが、家元しか名人になれない時代だったので、七段で終わった。しかし悲劇は名人になれない宗歩でなく、宗歩に勝てない家元派の棋士たちであったろう。

 家元派一と言われた大橋宗珉(そうみん)も宗歩に勝てず、連敗を重ねた。家元派が勝たねば権威を保てない宗珉にとっては、命を懸けるような対局だった。

 時代は下り、関根金次郎13世名人が終生名人を返上した後、木村義雄14世名人が初の実力制名人となったが、この制度がもう少し早く始まれば、木村の兄弟子(共に関根門下)の土居市太郎名誉名人が名人になっていたと言われている。

 その少し前、関西の阪田三吉氏に敗れた関根の代わりに阪田を破り、師匠の名人の座を守ったのがこの土居だった。実力は高く評価されていたのに、名人になれなかった不運の棋士である。

 その阪田も支持者に担がれて「名人」を名乗ったため、東京の棋界から追放され、10年以上公式戦を指せなかったという、不運の棋士だ。

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