【富坂聰 真・人民日報】習政権の新型肺炎対応は「後出し」か「果断」か 中国の実力を見極める千載一遇の“大実験” (1/2ページ) 富坂聰 真・人民日報
ふと、浮かんできた疑問がある。
新型コロナウイルスの問題が一段落したとき、日本人はこの問題を通じて、何を学び取ることができたのか、ということだ。
おそらく中国という国は「隠蔽(いんぺい)体質」で「初動対応が遅く」、世界に迷惑をかける国という程度の話だ。加えて告発者を力で押さえ込む言論不自由な国、となって、最終的には「ひどい国だねえ」と切り捨てる。
安心を誘うオチなのだろうが、官僚から井戸端会議まで、ステレオタイプにみなが口をそろえることに不安を覚えないのだろうか。
しかも、10年前から同じ話を繰り返しているなかで、現実的には輸出入でもインバウンドでも、どっぷりその「ひどい国」への依存体質に陥っているのは喜劇である。
どのメディアにも「隠蔽」、「初動の遅れ」と批判の言葉が飛び交っているのだが、極めて早い段階からおびただしい量の論文を出し、データを世界と共有しているのに、何を隠蔽したのか、具体的な指摘はない。初動の遅れについても、私は病気がはっきりしない段階で市場を閉鎖する以上の対応を採れたとは思えない。1000万人規模の都市の封鎖も同じだ。逆に何をどうすべきだったのか教えてほしいくらいだ。
共産党理論誌『求是』に出る文章で習近平国家主席が早くから指示を出していたとされたことに対して、まるで後出しジャンケンしたかのような批判も聞こえてくる。だが、これは新しい話ではない。
武漢閉鎖から4日後に出された党中央の「党の指導を強化し感染拡大阻止の戦いに勝利するための強固な政治を保障するための通知」では、習氏が新型コロナウイルスの発生以来「一連の重要指示を出し、数多くの会議を招集」とある。