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【福島良一 メジャーの旅】2度もマイナー落ち危機を免れたボブ・ホーナー さあ、二刀流・大谷は?

 米メディアから「マイナーで調整すべき」などと報じられたエンゼルス大谷翔平投手。それを聞いて思い出すのが、かつてマイナーリーグ行きを拒否した超大物ルーキー、日本でもおなじみボブ・ホーナーだ。

 1978年、アリゾナ州立大時代に大学球界ナンバーワンスラッガーとして騒がれ、通算最多本塁打記録を樹立。3月に親善野球で来日したときは全6試合でホームラン。しかも超特大アーチばかりで、日本のファンの度肝を抜いた。

 同年6月、ブレーブスにドラフト全体1位指名で入団。球団はこの超エリートをマイナーで調整させた上で大リーグに昇格させようとした。ところが、本人は「いますぐメジャーでプレーできる」とマイナー行きを拒否した。

 こうしていきなり大リーガーとなり、6月16日の本拠地アトランタでのパイレーツ戦に7番サードで先発出場。のちの殿堂入り投手バート・ブライレブンから6回裏、レフトへ豪快な2ラン。鮮烈デビューを飾った。

 以降、主砲として89試合に出場し、打率・266、23本塁打、63打点。シーズン中盤からの登場にもかかわらずナ・リーグ新人王を獲得した。

 球界を代表するスラッガーとして君臨するかと思いきや、再び問題を起こした。80年開幕から極度の不振に陥り、球団からマイナー行きを命じられると、本人はノートレード条項を盾に拒否。球団が「これはトレードでなくマイナーで調整するだけだ」と説得しても首を縦に振らず。結局マイナー落ちを免れた。

 87年には球団との契約交渉がもつれ、日本のヤクルトに入団。特大アーチを連発し本場のパワーを見せつけたが、翌年はカージナルスと契約。2度もマイナー行きの危機を免れ、生涯大リーガーとしてのプライドを持ち続けた。

 大谷はホーナーのように“マイナー経験なし”の大リーガーとなれるか。(大リーグ評論家・福島良一)

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