記事詳細

【小田幸平 ODAの第2捕手目線】人的補償指名は“第2のドラフト” 胸張って新天地に向かえ! (2/2ページ)

 しかも当時の中日・落合博満監督が「小田が(プロテクトから)外れているとは思わなかった」「あれくらいの捕手を(ドラフトで)取ろうと思ったら1億円かかる」と言ってくださっていることを新聞紙上で知りました。おそらく巨人に対する当てつけもあったのでしょうが、僕は奮い立ちました。

 もっぱら谷繁元信捕手の控えではありましたが、巨人時代より1年多い9年を中日で過ごすことができました。振り返ってみると、巨人でも多くの先輩方からかけがえのない教えを受けましたが、人的補償による移籍は野球の神様の配慮だったと思っています。

 放出されたと落ち込んだりするのは、もったいない。大竹寛投手の人的補償として広島に移籍してからブレークした一岡竜司投手の例もあります。人的補償選手には積極的に自分の運命を受け入れて、胸を張って新天地に向かってほしいと思います。

 ■小田幸平(おだ・こうへい) 1977年3月15日、兵庫県生まれ。市川高から三菱重工神戸をへて、97年ドラフト4位で巨人入り。2005年中日へ移籍。14年引退。プロ17年間ではレギュラーにはなれなかったが、“第2捕手”として評価が高く、お立ち台での決めゼリフ「やりましたーっ!」で人気を博した。愛称はODA(オーディーエー)。

関連ニュース