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【部下がついてくる!「角栄流」上司の心得】部下の力量を見誤らない「眼力」 (2/2ページ)

 この話は後刻、竹下の耳に入り、竹下は田中の思いを知って号泣したとのエピソードもある。その後、田中が1985(昭和60)年2月27日、再起不能の病魔に倒れたことで、田中が竹下を幹事長に推すタイミングはなかった。倒れた翌年、第3次内閣を機に、中曽根首相が「竹下幹事長」を実現させた。竹下は幹事長ポストを踏んだ後、「ポスト中曽根」で首相の座に就いたのだった。田中のやはり、田中派若手議員に対する次のような“名言”もある。

 「オメェら若造は、中曽根のことを『スダレ(=髪がまだらの意)』などと言っているが、中曽根の足元にも及ばねェのに、調子に乗っているんじゃない。人を見抜けてからモノを言えッ」

 田中は政争の中では、いささか竹下、中曽根を振り回したが、その力量は見抜いていた。そして、人事を的確に差配した。「眼力」なき上司の足元はもろい。=敬称略(政治評論家・小林吉弥)

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