記事詳細

【忘れない、立ち止まらない 東日本大震災から10年】「自分よりもっと大変な人がいる」と続けた新聞制作 大震災が気づかせた「世界線」に生きる (1/2ページ)

 あの無我夢中だった日々-2011年の春を思い出すとき、記憶の起点となるのは3月12日夜の出来事である。

 チリ地震津波(1960年)で被災した経験から、高台に社屋を移し、自家発電機を備えていた東海新報社は、東日本大震災によって停電が続く中、3月11日当日に号外を、翌12日から本紙を発行できた。通常の半分となる4ページだったが、「自分たちの力で新聞が出せる」…それが地域の命綱になれるはずと信じた。

 12日から13日へと日付が変わるころ。くたくたになって新聞制作を終えたのち、自然発生的に記者たちが円陣を組んだ。

 「今こそ地域のためになる、みんなを元気にする新聞を作るぞ!」「おー!!」。

 毎日、100を超す避難所を手分けして回り、避難者名簿を手打ちした。自転車や徒歩で店を1軒1軒歩き、生活情報をかき集めた。

 社員の中には、家を、家族を失った者も少なくなかった。だが、「自分よりもっと大変な人がいる」と分かっていて、どうして立ち止まれよう。まして、その困ってる人々の誰もが、自分たちの“隣人”なのだ。

 刷り上がった新聞を避難所へと届けに行くと、扉を開ける前から大勢の人が待ちかねている気配が伝わってきた。目を皿のようにして紙面を隅々まで読み、「いた!」「生きてた!」と喜ぶ人々の声に、疲労など吹き飛んだ。

関連ニュース