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【忘れない、立ち止まらない 東日本大震災から10年】「共にあれ」気仙愛した父の遺志脈々と 「ずっとそばにいるんだ、ここでやっていくんだ」 (1/2ページ)

 昨年1月、小社の先代社長である父が不帰の客となった。

 どう思い返してみても、父親としての優れた点は見つけられない。だが、一緒に働くようになって気づいた。この人の目はいつも、ここに暮らす人々のほうを向いているのだなあと。

 決断を迫られる場面では、迷わず「読者が喜ぶほう」を選び、そこに損得勘定を入れなかった。社員の一人として見れば、それは尊敬に値する性質であった。

 社屋の高台移転、自家発電機導入の際は、「いざというときに新聞を出せなかったら地域の役に立てない」と、紙面の全ページカラー化には「カラーのほうが喜ばれる」と主張し、どんな反対意見にも耳を貸さなかった。平和主義で人当たり柔らかな人だったが、こういう時は頑として譲らない。結局、彼のほうが正しかったといつも後から分かるのだ。

 誰よりも気仙(岩手県大船渡市、陸前高田市、住田町)を愛し、気仙の役に立ちたいと願っていた父は、この地が「被災地」としてだけ扱われることを嫌った。気仙の美しさをもっと伝えたいと始めた写真企画「フォト・ストーリー けせんの詩」は、1200回を超える人気連載となった。

 たまに怖くなる。子ども時代は好きとも嫌いとも思う機会がないほど淡泊な親子関係だったにもかかわらず、私が父の性格をそっくり受け継いでいることが。だからよく分かる。三陸の復興を見届けることなく逝った彼が、生きていたら何をしたかったかも。

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