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習近平主席の「誤算」、親中とみられてきたバイデン氏が“中国を叩き潰す日” ウォール街が見切り、国連での地位は台湾と入れ替えも (2/3ページ)

 そこで思い起こされるのが、1971年7月15日に発表された「ニクソン訪中宣言」(ニクソン・ショック)である。これは同年10月に中華民国(台湾)の国連安全保障理事会常任理事国の地位が共産主義中国に奪われる導火線ともなった。

 多数の中国国民を死に追いやった文化大革命の終結宣言は77年であるから、中国大陸の流血と混乱の時代であり、米ソ冷戦の真っただ中でもある。その時期に自由主義の旗手米国が、共産主義1党独裁の中国と握手をするなどと考える人はいなかったから、世界中に大変な衝撃を与えた。

 ニクソン氏はそれまで「反共の闘士」として世界中に知られていた。冷戦初期に行われたマッカーシズム(赤狩り)に協力した政治家として、ロナルド・レーガン元大統領とともにニクソン氏の名前が挙げられるほどである。

 ニクソン政権が共産主義中国と手を結んだのは「敵の敵は味方戦略」の一言に尽きる。49年の建国当時、旧ソ連から毛沢東氏が掌握していた共産主義中国に多大な援助が与えられたが、スターリン書記長の死後その関係は急速に悪化。69年の「珍宝島事件」と呼ばれる国境紛争が中ソ間で発生したほどだ。

 ニクソン氏は「敵の敵は味方戦略」でこの仲互い(内ゲバ)を利用しようとしたと思われるが、現状を見ればその戦略は失敗したといえる。

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