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【東京五輪と角栄の時代】1964年の東京五輪 田中角栄氏が“大盤振る舞い”の予算計上「1秒あたり5億5000万円の復活折衝」 (1/2ページ)

 今から57年前、1964年の東京五輪は、前首相の岸信介の強い誘致意欲のなかで実現した。岸は首相時代、日米新安保条約の成立・発効(60年)への執念の一方で、東京五輪を戦後日本発展のきっかけ、経済成長の起爆剤にしたいと考えていた。

 周到な根回しの結果、59年5月、IOC(国際オリンピック委員会)総会での投票で、米デトロイト、オーストリアのウィーン、ベルギーのブリュッセルを押さえて、「アジア初の五輪」が実現することになったのだった。

 岸は「安保騒動」で60年7月に退陣、後を継いだ首相、池田勇人が政策目標とした「高度経済成長」実現への足がかりとして、東京五輪成功に全力を傾けたということだった。開催のための関連予算は当時で1兆円超、今なら20兆円規模であった。これにより、この国の高速道路や一般道整備、新幹線開通、地下鉄整備もまた、時代の幕開けとなっていった。

 さて、田中角栄は、岸政権で郵政相として初入閣、自民党筆頭副幹事長を務めた後、池田政権では党から国家予算ににらみを利かす政調会長、第2次池田改造内閣(62年7月~)でついに蔵相の椅子に座った。

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