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【経済快説】五輪の辞任・解任劇の意味を考える  (1/2ページ)

 多難なオリンピックが始まった。そもそもコロナ禍での開催に反対の国民が半数を超える中での強行だが、実にトラブルが多い。競技場やエンブレムのデザインの盗用問題に始まり、その後も、女性蔑視発言を問題視された森喜朗大会組織委員長の辞任、女性タレントの容姿を侮辱したと批判された佐々木宏氏の開会式演出総合統括辞任、さらに、開会式直前になって、過去のいじめを問題視された小山田圭吾氏の楽曲が取り下げられ、過去にホロコーストを揶揄(やゆ)したとして小林賢太郎氏が開会式のショーディレクターを解任された。

 特に、最近の小山田氏、小林氏の2件は、問題の事実がかなり古いもので、少なくとも現在の当人たちがそれを正しいと主張していない問題による点が独特だ。本人が現在反省を示しても過去の問題が許されずに、当人を社会的な活動から排除しようとするがごとき力が働いた。その概念に厳密に当てはまるかどうかは議論の余地があるが、近年米国で話題の「キャンセル・カルチャー」という言葉を想起させる。

 両人の辞任・解任の是非はここでは論じない。考えてみたいのは、本人が現在は肯定しない過去の問題でも、社会が当人を排除することがもたらす、人の行動への効果だ。

 今回の「いじめ」や「ホロコーストの揶揄」が、現在の社会的価値観にあって非難の対象であることに異議を唱える人は、当事者2人を含めて少なかろう。問題は、過去の行動に対して現在ペナルティーを課すことと、それを司法的な手続きによってではなく「世論の圧力」で行うことの2点だ。

 過去であっても問題のある行動を起こした人物が排除されることは、当該問題行為に対する追加的な抑止効果を持つ。

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