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【須藤豊のいごっそうが斬る】球児の「火の玉」は日本だから生まれた魔球だった (1/2ページ)

 阪神・藤川球児投手(40)が現役引退した。私にとって球児はまず、捕手だったお兄さんとの兄弟バッテリーで、母校・高知商を久しぶりに甲子園出場に導いてくれたかわいい後輩だ。

 当時、高知に帰郷した際に会った藤川兄弟のお父さんは体は小さい方だったが、熱心に野球を教えた子供たちが甲子園に連れて行ってくれたことを、本当に喜んでいた。

 球児は肘に不安があると聞いていたが、ドラフトではキャンプ地でゆかりのある阪神が1位指名してくれた。当時監督だったノムさん(故野村克也氏)に「ありがとう」と礼を言ったのは、後にも先にあのときの1回だけだな(笑)。

 球児本人と初めて話したのは1軍に定着したころ。ある球場で試合前、同じ高知商の後輩で阪神の投手コーチだった中西清起が一緒に挨拶に来てくれた。中西は母校OBの中でも“最後の切り札”を持った男だ。私も甲子園では準決勝まで進んだが、中西は別格。高知商で歴代唯一の優勝投手なのだ。「甲子園で優勝したのは誰ですか?」と言われると、われわれ先輩OBも黙るほかない。

 あるとき球児が冗談交じりに「中西先輩は最後にはいつも『甲子園で優勝したのは誰だ?』ですよ」と苦情を入れてきたから、「あいつは先輩に対しても一緒だぞ」と教えて2人で大笑いした。気兼ねなく話せる直系の先輩がコーチだったのはやりやすさも、やりにくさもあったと思う。