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【ロバート・ホワイティング サクラと星条旗】2つの「東京五輪」が描くコントラスト 「史上最高」と称賛された1964、人々を興奮させる要素に欠ける2020 (3/4ページ)

 何という違いだろうか。今回は街にツーリストの姿はなく、アスリートたちは限られた空間に閉じ込められ、選手村で1人で食事をする。ソーシャル・ディタンスを保ち、仲間の応援もままならない。競技を終えたら2日後には出国しなければならず町を散策したり、日本人と交流する機会もない。

 1万1000人の海外からのアスリートが東京にいるというのを知ることができるのはメディアの報道と、町中にある「2020」のサインだけだ。

 それでも、いくつかの五輪会場は素晴らしい。木のぬくもりを取り入れた隈研吾氏の新国立競技場は印象的だ。

 前回五輪では東京タワー、銀座、浅草観音が象徴的存在だったが、今回はグローバルテレビが全く違った東京を紹介する。レインボーブリッジ、お台場、ゆりかもめ、豊洲市場のほか、新たに完成した45棟の超高層ビルが威容を放つ。

 テレビのアナウンサーは今や東京が世界一素晴らしい町だとして、高いGDP、清潔で効率のいい地下鉄や鉄道、長寿、識字率の高さを誇らしげに紹介するだろう。グローバル企業の本社が500、ミシュランから三つ星をつけられたレストランがパリの2倍、犯罪の少なさ、親切でファッション感覚にあふれた市民も世界に知ってもらえるはずだ。

 しかし、人々を興奮させる要素に欠けることは否めない。もし、開会式に涙する人がいたとしたら、それはコロナ禍で多くの国民が中止を願ったにもかかわらず、日本政府が開催に踏み切ったことへの失望の涙だろう。