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【巨人の事件簿】劇的!!長嶋監督リーグ初優勝 前年屈辱の最下位から大補強でチーム一新 (1/2ページ)

 長嶋茂雄監督1年目(1975年)、巨人は屈辱の最下位となった。責任を感じた長嶋はオフのゴルフなど遊びを封印。それどころか頭を丸刈りにすると言い出した。

 それを聞いた球団のロイ佐伯常務が「そんなことをするよりまず補強でチームを立て直すことが大切だ」と諭し、大補強に乗り出した。

 まず、前年、良きチームメートでライバルでもあった長嶋が引退したことで主砲1人となった王貞治がけがもあって精彩を欠いたため、その再生を図ることを考えた。それにはチーム内に強烈なライバルを作り出す必要があるとし、“安打製造機”といわれた日本ハムの張本勲を投手の高橋一三、内野手の富田勝を交換要員に獲得。

 さらに左翼張本とポジションが重なる名手高田繁を三塁手に大胆なコンバート。前年三塁を守っていま一つ調子がでなかったデーブ・ジョンソンを本来の二塁手に戻し、メジャーの力を発揮できる環境作りにも着手した。

 また、弱体投手陣の立て直しとして太平洋クラブのエース加藤初を獲得するとともに大リーグで通算100勝をマークしていた左腕のクライド・ライトを加えた。投手コーチにセ・リーグ鈴木竜二会長の推薦で“フォークボールの元祖”杉下茂氏を招聘(しょうへい)した。

 こうして、前年とは一新された巨人は開幕から快調に走る。移籍した張本は期待どおり広角打法で左右にヒットを打ち分け、シーズン・355の高打率をマーク。刺激を受けたか、王は49本塁打、123打点をあげ二冠王に返り咲いた。ON砲からOH砲となって打線を引っ張った。

 外野から三塁に異例のコンバートされた高田は堅実な守備だけでなく、初めて3割をマークするなどバットでも貢献し、よみがえった。

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