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【福島良一 メジャーの旅】今の時代なら大谷翔平になれた!? 悲運の剛速球投手のあまりにも悲しい最期 (1/2ページ)

 大リーグ史上最速のピッチャーは誰か? 米国の野球ファンが議論するとき、伝説の速球王ノーラン・ライアンらとともに必ず名前の挙がる投手がいる。そのうちの一人、J・R・リチャードが亡くなった。

 米南部ルイジアナ州で生まれ育ち、子供の頃は石を投げて鳥に命中させる特技があった。高校時代は投打の二刀流で鳴らし、1試合でノーヒッターと4打席連続ホームランを記録。今の時代ならエンゼルス大谷翔平になれたかもしれない。

 1971年アストロズでデビュー。身長203センチもあり、「まるで2階の屋根からボールが落ちて来るようだ」と打者を嘆かせた。また、74年に人類で初めて時速100マイル(約161キロ)の壁を突破したライアンよりも球が速いと言われた。

 76年に初の20勝を挙げ、一流投手の仲間入り。78年にナ・リーグ史上初の右投手で300奪三振を記録。79年にはライアンらに次いで史上3人目の2年連続300奪三振を達成。当時はバッターの三振も少なかっただけに価値があった。

 80年はエンゼルスからFA移籍のライアンと同僚になり、4月から開幕5連勝で月間最優秀投手に選ばれるなど絶好調。5月から6月には3試合連続完封もあり、シーズン前半だけで10勝4敗、防御率1・96。まさに破竹の勢いだった。

 ところが、7月のオールスターゲームで先発したとき肩と背中に違和感を覚えた。やがて、右腕が麻痺してボールを握れなくなり、同30日試合前の練習中に突然倒れて救急車で病院へ搬送。脳卒中と診断され、残りシーズンを全休した。

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